ところで、私の思想は、上の両者とは類似点と共に、差異も存分に有するものである。私は、愛とは、何かという最も純粋な疑問について、より真理である物事を掴もうとした。愛とは何かという疑問は、あらゆる思想家や学者が何度も挑戦してきた論題である。古くは、プラトンの『饗宴』のエロス論にまで遡り得る愛の思索を、私は今一度私自身の手によって行いたいと感じたのである。愛への見解は、非常に有意なものを我々は歴史上見る事が出来る。

 先述のプラトンにおける愛とは、善きものの永遠の所有であり、宿命的に有限な存在である人間は、自らの子や自らの生きた証を残す事でそれを為そうとする生き物である。そして、愛の本質とは、一個体へ対する愛から、複数個体へ、それが美へ対する知となり、更に抽象的なものへと進んでいき、最終的には美の本質へ至るといった愛の漸進的発展を見せるものであった。すなわち、ここに見えるのは、愛とはすべての活動へ対する行動原理であるという事である。これは注意深く考えてみると分かる事で、あらゆる活動には、それへ対する愛が無ければ何者も有意義な結果を残すことは出来ない。それが運動であっても、いかに理知的なものであっても、最初それらを愛するという非理知的な原理があって初めて動き出すのだということである。この考えは、非常に考えさせられるものである。遥か古代の昔においても、ここまでの思索を為した超人がいる事は、驚嘆であると共に、人間の底力を感じさせるものである。