昨日の新聞2紙です。
毎日新聞の方には、私たちが行った亨平先生追悼祈念講演会のもようが、意外に大きく報じられました。
私がしょっぱなから泣いてしまって、司会ができなかったことには触れていません・・・当然ですが・・・
今日は、すごく久しぶりに、アヤトが登場
高校合格の報告をしてくれました
体調を崩し、学校も塾もお休みが多く、心配していましたが、高校は行きたいところがある!と、頑張りました。
高校に入って、好きな勉強を、好きなだけすることで、アヤト自身の心も体も強くなっていってくれるような気がします
私はそれを願っています。
むっちゃんも合格
県立高校の受験の前に、私立も受験しておきました。
こちらは余裕の笑顔です
昨日の福島民報に、先日の原町高校の傷害事件のことが掲載されていました。
「クラスになじめず不満」とタイトルがついています。
事件があった1年3組は選抜クラスという、原町高校の中では粒揃いのメンツが通っているクラスです。
そこでの事件と聞いて、クラスメートじゃないかと思ったのは、当たりだったようです・・・残念ながら・・・
クラスメートは、傷害事件の犯人として、逮捕されてしまったのです・・・
「クラスメートに相手にされず無視されていると思った」と供述しているようですね。
私はこういう子どもに弱いんですよ・・・
人間には集団欲というものがあって、仲間と群れたいという欲求があります。
多感な時期の年ごろには、それが顕著だと思われます。
いつもお弁当を一人で食べていた・・・ということを聞くだけで、私の心は張り裂けそうになってしまいます・・・どんな思いで、毎日学校に通っていたのか・・・と、想像するだけで、頭がガンガンします。
昔、池田小事件というのがあったのをご存知でしょうか・・・?
父親に怒られてばかりで、愛情希薄に育った犯人が、30代もかなり過ぎてから、良家のご子息たちが通う優秀な小学校の生徒を、刃物を振り回して殺傷した痛ましい事件でした・・・妬みですね・・・
秋葉原の通り魔殺人事件もそうでしたね。
青森県下で一番の進学校出身の子が、やはり身の置き所の無い孤独感と劣等感の中で育ち、
世の中から疎外された思いを抱いて、あのような凶荒に走ったのでした。
「孤独」を好む・・・という人もいますが、自らが好んで一人になるのと、
なんとなく疎外されて一人ぼっちっていうのは、まったく心理的負担が違います。
「寂しい子」って、意外に多いんです。
「認めて欲しい」
「ほめて欲しい」
「叱るんでもいい、かまって欲しい」
「そっちから声かけて欲しい」
「ちょっと見て欲しい」
小さい時、子どもってよく口に出しませんか?
「お母さん、見ててー!」って!!
あれなんですよ。
ですから、私がスタッフに絶対条件として要求することは
「必ず、全員に声をかけて」ということです。
名前を呼んであげることです。必ず一度は声をかけてもらいます。
こんなに鬱積する前に、彼の心のヒダヒダを、誰かがわかってあげられなかったのか・・・と、切なくなる身近な事件でした。
アヤトもむっちゃんも、こんな笑顔で教室に来てくれてありがとう
私はせめて、私のそばにいる子どもたちには寂しい思いはさせたくないと、強く強く思うのであります。
私は明日から名古屋に行きます
みんなも留守中風邪引かないようにね