では、もっと深く切り込みます。
切り込む前の記事はこちら。
お布施は2種類。
三施と七施。
お布施というと、
一般的には、金銭のことが一番に思い浮かぶと思います。
住職さんに(本当は金額は決まってるけど)
支払うお金を「お布施」と言ったりしますね。
三施とは、金品や労力のことを指し、
財施
僧侶や貧者への施し
法施
読経
無畏施
他者の不安・心配・恐怖を取り除く労力
です。
四国88か所を巡る人に、
この時期ならスポーツドリンクなどをあげるのも
財施になります。![]()
「頑張って!」と言うだけでも、無畏施にもなります。
そもそも、お布施とは
「してあげる」ではなく
「させていただく」というのがホンマです。
お釈迦様は、弟子に
「貧乏な家に、お布施をいただきに行きなさい」
と言っていました。
何故かというと、お布施とは利他の行。
貧乏な人は、忍辱など自利の行で いっぱいいっぱいで![]()
利他の行を積むことが出来ないから
お釈迦様は「徳を積ませる」ことを、させてくださってたんですわ。
もちろんお布施だから、
1円でも、お米ひと粒でも かまわないのです。
でもそれが、
「ない人」から見れば、どれだけ苦行だったことでしょう。
ひと粒でも食べたいし、
1円足りなくても物は買えないんですもの。
でも、その苦行をさせていただくことで、
自分の徳になるのです。
ちなみに。
四国88か所巡りは、あちこちに休憩所があります。
風雨をしのぐ東屋だったり、トイレの提供だったり、
お茶を用意してくれてたり、
古びたバスにお布団があったり、
そこに電話番号が置いてあって、かけるだけでご飯持ってきてくれたり、
人が待っていて、巡る理由を聞いてくれたり。
(大事な人が亡くなって心の整理で巡る人も多くいます)
旅人は、そうやって施しを受けながら巡るの。
その代わりに、施してくれた人の思いを結願まで持っていきます。
「願いや思い」は旅人が悟るもので、これをお寺でお願いしてきて!みたいなのではありません。
そこには、物品だけでなく、
目に見えないものと見えるものの受け渡しがあり、
受け取りのブロック解除があり、
自分と相手
こころとカラダ
思いと行動
笑顔(七施)と冷たいお茶(三施)
与える愛と、受け取る愛
陰と陽が、そろっているから充実するのです。
結果。
提供するのは、
苦行なのか?
という疑問が湧いてきます。
お布施とは、いろんなことがあるので
できることをすればいいのです。
なのに、日本人の多くは
苦労(苦行)しないと、受け取ってはいけない
という教えに従ってしまい、
自分への快楽をおざなりにしがち。
まず、自分が幸せにならないといけない。
これをもっと、深く落とし込むことで、
周りの人を幸せにできるんだよ。
自分に愛を![]()
他人にも愛を![]()
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