今月も、もう終わり。

 

 

にこうさの今月は、、

 

学びが詰まった月でした。。。

 

 

 

端的に言うと

 

 

 

イヤなことが多かったわっ!

 

 

 

 

いやもう、ホントに。

 

半グレやで。

 

 

 

自分の信念とは何ぞやはてなマーク 

強さとは何ぞやはてなマーク

魂の学びとははてなマーク

 

 

これ、本当に大事なコトだな~って思うの。

 

 

 

昨日のブログでは、占い師の限界突破とはなんだろー?

ってことを書いたのだけれど

 

 

意外に反響が大きくて、ビックリ。

 

 

 

やはり、家庭の事情で困っている人は多い。

 

 

シングルマザー、

子供さんの病気、

自分の体調、

給料が少ない、

介護のほか

 

ランドセルを買えないとか

オムツが買えないとか

病院に行けないとか

 

 

心身共に、やつれていっている。

 

 

そんな方々に、

からのメッセージと

面を歩いていく手立てを

 

 

陰陽を揃えて

キチンとお伝えするのは、絶対に必要だ。

 

 

 

にこうさが、しなければいけないことは、

同情して一緒に泣くのではなく

 

にこにこうさぎとして

きちんとメッセージを伝えること。。。

 

 

 

そんなのをモンモンと考えていると‥‥

 

ひょんなことから

淡路島の伊弉諾神宮へ行くことに。

 

 

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語り部参拝をお願いしてくれていた。

そんなんがあるとはつゆ知らず。

 

ありがたいラブラブラブラブラブラブ

 

 

いろいろと説明を聞きながら参拝させていただいた。

 

 

なかでも印象に残ったのが、

国家にも出てくるさざれ石の云われ。

 

 

 

君が代は

千代に八千代に

さざれ石の 巌となりて

苔のむすまで

 

 

 

あくまで、伊弉諾神宮の解釈ですが

 

 

さざれ石とは、細かい石を指すそうです。

 

それが集まって一枚岩(巌)となりて、

 

千年も万年も、苔がむすまで

 

 

みんなで手を取り合っていこう、という意味があるそう。

 

 

…思い出したのは、一は全、全は一。

 

さざれ石は、細かい石、、、細かい意志。

 

巌は、意識の集合体だとも取れる。

 

 

 

人はやはり、ひとりでは何もできない生き物。

 

でも、ひとりひとりが「意志」を持つことで、

大きな力にすることができる。

 

 

 

…にこうさは、こういうのに弱いあせる

霊能者とは、孤独な生き物だから。

 

 

 

さざれ石は鳥居をくぐったすぐそこにあるのだけれど

 

しょっぱなから泣くわけにはいかぬ…

 

ぐっと我慢の子(笑)

 

 

 

伊弉諾は国生みの神。

 

このブログを読んだ方も偶然ではなく、

何かを生み出す力をお持ちなのだと思う。

 

ひとことで、人の心に 何かを芽生えさせることが出来るのだと思う。

 

 

 

一は全、全は一。

 

一をちゃんと見つめてくれる人と一緒にいること。

 

 

そんな繋がりを大切にしたいと、心から思うのでした。

 

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