愛とは
愛は人間の根源的感情として、
全人類に普遍的であり、
人格的な交わり、あるいは人格以外の価値との交わりを可能にする力である。
ば~い・コトバンク。![]()
はい、愛の意味を調べたら、こんなんでました![]()
愛に溢れる
愛に満ちている
愛に溺れる
溢れる・満ちる・溺れる。
愛の表現法って、「水」のような扱いだね。
あぁ、溺れてみたい。
(痛いひとりごと)
にこうさのお客様のなかには
「愛」の受け取り方が分からない人って
とっても多いの。
「君、カワイイね」
「君、素敵だね」
「あ、その仕草が好き」
とか言われちゃうと、
アワワワ~![]()
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(((( ;°Д°))))![]()
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ってなっちゃって、
どうしていいのか分かんなくて
全力で否定すんの。
世の中には
「ありがとうございますぅ~~
」
って受け取る人も、たっくさんいるのにね(笑)
嫉妬心から、こういうやつムカつく(笑)
これね、褒められ慣れてないから
アワアワ
しちゃうの。
シバかれたり、モラハラされて育った人なんかは、
特にね。
素の自分を認めてもらえなくて
苦しんで
うまく愛を受け取れてないから
「愛の取扱説明書」が、ないのさ。
だから、
自分の行動に対する評価に
執着してしまうん。
良い点数とったら、褒められる
いい仕事したら、褒められる。
努力したら、褒められる。
「何か」をしないと、評価されないと思っている。
分かる?
自分の価値が、他人の評価なん。
だから、いつまでたっても満足しない。
だって、大人になったら誰も褒めてくれんもん。![]()
褒められ=橋 だとすると
橋の向こう側には、自己肯定感。
子供の時に、「褒められ」を受けとってたら(橋のかけ方を知ってたら)
「私、頑張ったなあ」って自分で自分を認めるように
繋がってきてたんね。
橋がないから、渡られへん。
大人になったら、誰も褒めてくれんやん。
橋がないんや。
子供の時に受け取ってないから、作り方が分からんの。
だから、自己肯定感に繋がらなくなって
いつまでも橋のこっちでウロウロするん。
んで、評価を人に求めてしまうんよ。
「私、出来てる?」
「頑張ってるのに」
「やってあげたのにーー」
って思い始めちゃう。
評価をすごい求めているクセに、
褒められたりすると全力で拒否る。
ずっと繰り返しで、満足でけへんの。
じゃあ、どーしよか?
一般的に
愛は「もらう」
なんて言わない。
「愛を与える」と言う。
求めるクセに受け取るのを拒否るなら、
与えればいいんだ。
愛は与えるもんなのさ。
相手の「そのまま」を認めるのは
「愛」だと思うよ。
だってそれは、あなたがしてほしかったことじゃないかな。