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川島 永嗣(かわしま えいじ、1983年3月20日生まれ)さんは、埼玉県与野市(現さいたま市中央区)出身の日本代表のプロサッカー選手です。
フランス・リーグ・アンのFCメス所属で、ポジションはゴールキーパーです。
少年時代は、地元の与野八幡サッカースポーツ少年団で基礎を学びました。
当時からゴールキーパー志望でした。
与野西中学校時代に本格的にキーパーのポジションを始めて、埼玉県選抜に選ばれて、ドイツとオランダへ遠征に行った経験があります。
その後、埼玉県立浦和東高等学校へ進学して、3年の間に選手権・国体・高校総体と高校サッカー3大全国大会すべてに出場しました。
学生時代の成績は優秀で、周囲からは大学進学を勧められていましたが、プロでやっていくことを決断しました。
しかし、地元、浦和レッドダイヤモンズのセレクションは不合格となります。
その後、もうひとつの地元クラブである大宮アルディージャへの加入が決定しました。
川島さんの獲得を決めたのは、当時、大宮で強化部長の職にあった佐々木則夫さん(後に前サッカー日本女子代表監督)です。
大宮加入後、イタリア・セリエAのクラブへ留学して、若手選手たちが出場する「ヴィニョーラ・トーナメント」に参加しました。
チームは優勝を果たして、川島さんは、ベストゴールキーパーに選出されました。
2002年、AFCユース選手権に出場するU-19日本代表に選出されて、不動のレギュラーとして活躍しました。
特に準決勝のウズベキスタン戦ではPK戦で2本止めるなどの活躍を見せました。
2003年12月に行われたFIFAワールドユース選手権でも、イングランド戦、エジプト戦で数々のスーパーセーブを見せて、チームのベスト8進出に貢献しました。
2004年、複数舞い込んだ移籍話の中から、あえて日本代表の楢崎正剛さんがいる名古屋グランパスエイトに移籍しましたが、当時、円熟期にあった楢崎さんの牙城は堅くて、控えに甘んじる日々が続き、結果的にアテネオリンピックの代表メンバーからは外れました。
移籍後はカップ戦など出場機会が限られていましたが、2006年にセフ・フェルホーセン新監督のもと新たなスタートを切った名古屋において、2005年シーズン終盤に負傷した楢崎さんに代わって先発出場しました。
楢崎さんが復帰した後も熾烈なレギュラー争いを続けました。
このシーズンは、結果的にリーグ戦10試合、Jリーグカップ4試合に出場しました。
正GKの座は奪えなかったものの、その能力の高さを改めてアピールしました。
2006年のシーズン終了後に、2007年シーズンにAFCチャンピオンズリーグ出場を控えている川崎フロンターレから獲得のラブコールを受けて当時の川崎のクラブ史上最高額となる1億5000万円の移籍金で完全移籍しました。
シーズン開幕から正GKとして全試合フル出場を続けて、それまで川崎の弱点と見られていたポジションを補って余りある活躍を見せました。
また移籍直後の2月14日には川口さん、山岸範宏さん、林彰洋さんらと共にA代表候補合宿に初招集されて、3月19日にはペルー戦以降ベンチ入りして、AFCアジアカップ2007でもメンバーに選ばれました。
2008年2月17日、東アジアサッカー選手権・対北朝鮮戦でA代表デビューを果たしましたが、川崎のチームメイト(当時)である鄭大世さんにゴールを決められる複雑なデビューとなりました。
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