昨日は、祖母の3回目の命日でした
そして、息子は、あと3日で3才を迎えます
生まれてから一度目の結婚で家を出るまでの27年間
同じ家で暮らし、生きてきた祖父母
わたしの妊娠がわかったころ、祖母の末期の癌が見つかりました
「余命は長くて半年」
わたしの頭によぎったのは、赤ちゃんに会わせてあげたい、という思い
そしてまだ何の実感もない「生」と「死」のはざまで、わたしはただただ、おびえていたような気がします
産前の1か月の里帰りは、おばあちゃんと過ごす最後の時間になりました
日に日に大きくなっていく私のお腹と
日に日に小さくなっていく、祖母の体
正直、間に合うだろうとおもっていた出産
余命より早く、なんてことはないだろうとなんの根拠もないその感覚は裏切られ
確実に近づいているその時を、もう少し待って、もう少しだからと念じることしかできなかった
あの頃の私は、お腹の中の子のことなんて考える余裕が、これっぽっちもなかった
ただただ出産への思いよりも、おばあちゃんへの思いが膨らんで
離れたくない、今離れたら、次会うときはもう骨なのかもしれない
そんなことを思って、産婦人科の検診で、「出産後は、絶対入院が必要ですか?」なんてきいた日もあったな
赤ちゃんの心音を確認しながらも、お産が来たら、どうしよう
そんなことを、無意識に頭に浮かべてしまっていた気がする
そんな私の心をよみとってくれていたかのように
予定日を過ぎても、陣痛はこなかった
予定日を過ぎて4日後
祖母が静かに息を引き取った
ひ孫にあわせることはできなかったけど
死に化粧に、お気に入りだった紅い紅を塗ってあげられたし
骨になるその瞬間までそばにいれた
もう、これ以上の見取りはないといえるまで、そばに居続けられた
そんな日の翌日に、破水したわたし
破水から24時間の陣痛に耐えた後、息子が生まれた
顔を見た瞬間、
「ごめんね、ありがとね、お待たせ」と心の中から声が漏れた気がします
待ってくれていた、と思わずにはいられないようなタイミングで
新しい命はわたしのもとにやってきてくれました
生と死、こんなにも人間の生活に身近なことなのに
今まで意識して過ごしたことは本当になかった気がします
会わせられなかった後悔は、不思議と小さく
最後を一緒に過ごせた時間の尊さが今も胸をめぐっています
3回忌の昨日
祖母の仏壇にお花を供えて、手を合わせると、やっぱりまだまだ涙が浮かぶ
「もうすぐ3歳になるよ。大きくなったよ。かわいいよ~」って話しかけて、返事をもらった気になって。
いつまでもきっと、心の中に居続けるんだと思います。
明後日、息子の誕生日には、祖父母の写真も飾って、お祝いしたいな、と思います。