結婚して川崎市宮前区馬絹の246に面しているマンションに住む。

最初は室内リフォームがされてはいるものの、家具が低くて使いにくいので、

とりあえず、私の身長で使いやすく、リフォームをする。すでに、息子が産まれていた

し、ハイハイをしている時期でもあったし、何でも口に入れてしまうので

常に移動は抱っこだった。このアパート❓マンションに住んで心配だったことは246からの左折車が、

結構なスピードで入ってくることだったり、見通しが悪く、危険が多かった。

だから、私は本当にここに住み続けて良い物かと、常に思っていた。

駐輪場から自転車を出すのが危険で、ここに住みこの駐輪場に幼い我が子が、事故にでもあったら

大変と思って自転車に乗れるようになるころには引っ越したいと思っていた。駐輪場から降りるスロープも

急すぎて、子供には危なっかしくて、注意が必要だなと考えていました。

駐輪場を抜けるあたりにカーブがあり、とても見通しが悪くて・・・・そんなこんなで私は

このマンションは子育て中は向かないと考えていました。

でも、近くにドンキ・ホーテーや、スパーなども充実していて、駅までも15分もかからないし、

住むのには、とても良い所でした。

 

徒歩圏内にと言っても、ちょっと山を登って下るくらいの所に歯列矯正クリニックがあり30代前半に

上は出っ歯、下はガチャガチャだった歯を気にしていた私は母に相談し、親の責任だ!と親のせいにして

親に歯列矯正費を出してもらい、確か4~5本抜いて顎に収まる様に矯正した。

矯正は歯を動かすので、本当にストレスがかかりました。

矯正している間は、なるべく柔らかい物を食べていました。うどんとかね。

 

その頃は、主人のお父さんの会社が、自衛隊に出入りしている商社だったので、そちらの仕事を

手伝っていた。義父はもともと自衛隊員で、埼玉県入間市に(入札関係の)書類関係を出しに行っていた。

 

それから、義父の会社は世田谷区弦巻にあり、会社の同僚の女の子と、三軒茶屋で遊んだ。

義父の会社までは車で行っていた。

1度、ガソリンスタンドの所で車をぶつけてしまった事がある。

 

それから、初めての妊娠したのが、確か2000年くらいで、長男の前の話なんだけれど、

産婦人科は世田谷の上町と言うところに言っていたんだけど、なんとなく、あぁ~この子は

男の子だなと思って、大事にいろんな事に気を使いながら生活していたのだけど、サーフィンの

し過ぎで体が冷えて、至急も冷え切っていたのが理由か分からないけれど、6か月で

おなかの中で亡くなっていた。その子には(一馬)と勝手に名付けていた。

 

次に2003年に息子の蒼馬を生んで、次に今度は3か月と言う速さで、今度は流産している。

そして、2008年に娘の(葵)が無事に生まれた。

 

その産婦人科でその後旅行や、パーティーなどをする、家族ぐるみの付き合いが始まる。

年に何度かは、5家族で旅行はBBQに行ったりした。

冬は温泉のあるコテージに泊まり子供達も楽しそうに遊んでいた。

そして、知り合った5家族はそれぞれに一軒家を購入して引っ越すことになる。