二本松城 その1
寒い冬の日だった。福島県に入ったら雪が積もっていた。最初の目的は、会津若松と猪苗代の城を見学するつもりであったが、郡山に着いたら、磐越西線の接続が悪く、変更して二本松へ、
駅に着いて、徒歩20分ぐらいだとの事なので、歩く、
途中に大手門の跡がある。
石垣が綺麗な亀甲積みである。
門の脇に、二本松少年隊の隊士の戦死の石碑がある。
戊辰戦争で二本松潘は、装備も兵力も圧倒的に不利な状況の中で、義理を貫いて抗戦した。その時、年齢が12才の少年まで、少年隊に編入され、戦ったとされている。
二本松少年隊は、各方面の戦いで戦果を上げたが、反面犠牲者も多くこの隊士は、負傷し大手門付近で動けなくなっているところを、新政府軍の兵士に看取られて最期を遂げた。。新政府軍も激しい攻撃を受けていたが、まさかその攻撃が少年による攻撃とは思わず。必死に陣地を制圧し、そこに複数の少年の遺体が横たわっている姿を見て、愕然としたと言われている。。
大手門から先は、長いダラダラした坂を登る。久保丁坂と言うらしい。かなり長い、坂の頂上は尾根状になっていて、そこに門があったという。
坂の頂上から二本松城が見渡せる。三の丸付近、箕輪門が見える。
頂上には石垣が、「天空の城」のようである。
せっかく登ったので、尾根づたいを行くことにする。途中二合田用水路があり城内に引かれていた。用水路を城内に引くとはなかなかのアイデアである。二本松潘は武勇ばかりでなく、治水面や内政面にも力を注いだ潘だったのであろう。やがて「新城館」と呼ばれる曲輪に出る。
畠山氏時代の本丸とされている曲輪である。
新城館を過ぎると前方に、櫓台のような石垣が、かなり新しい時代のだ
搦手門の跡らしい、門柱の礎石から、高麗門の可能性が高いとの事、まだ発掘調査により、もう1ヶ所門柱の穴が見つかり、この門は、畠山氏時代の可能性があるとの事
きれいな石積である
櫓台に登ってみた門柱の礎石が見える。
搦手門から更に登る。頂上の石垣が見えた❗❗
本丸の石垣だ。そびえ立つ。
その2に続く