双子がまだNICUにいた頃。

それぞれが地元と県外の病院に入院していた時期。

20時まで面会が許されていたから、
面会時間ギリギリまで過ごし、
それから2時間かけて家に帰り、
急いで夕飯の支度をして、

夫は夫でわたしがやり残した家事を片しながら、
双子中心の生活に、
文句ひとつ言わず付き合ってくれていた。


次男はNICU時代は状態が安定しており、
それはせめてもの救いだったけれど、

長男は頻繁に腸炎を起こしては絶食が続き、
生まれてから年を越すまでは、
1,000gになかなか体重が到達しなかった。

あばらの浮き出たガリガリの身体で、
お腹がすいて泣いてばかりいる長男の姿を、

毎晩思い出しては泣いていた。

食事する気も失せるほど不安で胸がいっぱいで、
わたしまで長男のように痩せ細り、

ママは弱音を吐かないから心配よと看護師さんによく心配されていた。


あの頃、
仮面を被ってでも人前ではいつもにこにこ笑ってお茶らけていたかった。

極端だけど、

泣いてしまったら、
そんな姿を人前で見せてしまったら、
必死で逃げまいと踏ん張ってきた現実と向き合えなくなる気がしていた。

頭の片隅でいつも警報が鳴り続けていた。

心が折れてしまったら、
きっとわたしはもう立ち上がれなくなる。


キボウはヒカリ ゼツボウは糧 
想い出は盾 未来は自由 
笑顔はあかし 涙はしるし 
痛みはヒント チャンスは無限 


何度も繰り返し聴いたわたしの応援ソング。


絶対負けない。

春を待つんだ。

やがて来る春を。


泣きながら、
ぐっと自分に言い聞かせた冬の帰り道。


家ではいつも泣いていたけど、
子供たちの前では、
能天気にわらってるママでいたかった。


いまでも変わらない。


子供の前で泣いちゃう日だってあるけれど、
いっつも変な歌うたって、
へらへら笑ってるママでいたい。