昨晩のFNS歌謡祭チラチラ見てました
私の中でトピックスをいくつか
一つはASKAさん
薬物問題で表舞台から去って
久々に聴いた歌声
まだあれだけハイトーンを聴かせる事が出来るなんて
もちろん全盛期よりも身体的な衰えはあるでしょう
でも鍛錬無しにここまで維持は出来ないでしょう…
人間何処かでつまずいてももう一度立ち上がる事が出来るんだと示しているようでした
C&Aは私の青春時代と重なるので胸熱でした☆
第二に 私はやはり平手友梨奈さんの事を書かざるを得ないでしょう
その姿に
そのしなやかで長い手足に
その魅せる"キメ"と"キレ"に
その歌声に
沸々と自分の体温が上がるのを感じながら鑑賞
以前
杉山勝彦さんがユーチューブで仰っていて共感したのですが
高いキーで歌う事に過剰な価値を見出してしまう現代的なトレンドにとらわれずに低音を駆使して表現する平手さんに唯一無二な特異性を感じます
第三にアイドルの凄さですね
印象深かったのは乃木坂の中西アルノさん(昭和歌謡のカバー)と
ソロになった中島健人さん(=LOVEさんとコラボ)ですね
歌唱もさることながら中西さんの細やかな表情表現と
中島さんのブレないでやり切るアイドル然としたパフォーマンス
恥ずかしさを微塵も感じさせずにあれだけやり切られたら 普段ならお家芸なはずの=LOVEさん達の中にはたじろぐ人もいたのでは?と思わざるを得ませんでした
これとは関係ないですが、チラッと登場した指原プロデューサーがキャリアウーマン過ぎるビジュアルで笑っちゃいました(褒めてます)☆
ここでちょっとあえて脱線しますが
平手さんのパフォーマンスがヤフー記事になっていましたが
相変わらず心無い発言を垂れ流すヤフコメ民がウジャウジャ湧き上がっています
もちろんこんなのは相手にしないのが一番なのは分かっています
でも、それに心を痛めている人がいるのは間違いなく
そんな人達に私からの提案とエールです
歌が下手とか可愛くないとかダンスが下手とか
こういう系は単に見る目が無いだけなのでは?
たぶん鬼レンチャン出来ることを歌が上手い指標にしちゃってるレベルの人です★
「競技」としての素晴らしさは認めますが
それをイコール「芸術」と混同してしまっているフシがあります
「夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。」
清少納言とは違い、美しさも画一的な見方しか出来ない人達なのかもしれませんね★
あと
1人じゃ何も出来ないとか大人の操り人形的な発言もチラホラ
こういうのは逆に考えると誉めてしまってる可能性もありますよ
芸能界もさることながら社会でも「周りの人を巻き込む力」が大事だったりします
この人と一緒にやりたいとか、この考えに賛同して協力したいとか思わせることで事業を興せたりプロジェクトが立ち上がったりしますよね
人間1人の力なんて微力だという前提が抜け落ちた発言だと私は考えるようにしています
皆様、心の何処かで「何者にもなれなかった私」に失望を抱えながら生きているのかもしれません
何かの綻びを見つけては無意識の嫉妬心を狂気に変えて引きずり落とそうとしているように見えてしまいます
もしくは何者でもない私が無理矢理な上から発言で何者かになった気持ちを味わいたいのかもしれません
許してあげましょう★
さらにさらに、平手さんが何をしたいのか迷走してるという発言もありました
これもまた下げ発言になっていないですよと言いたい
平手さんを表現者だと認めているようなものです
表現者が色々な事を模索するのは当たり前ですよね
そのパイの広さも称賛されるべきです
かのピカソも「青の時代」「バラ色の時代」「アフリカ彫刻の時代」「キュビスムの時代」「新古典主義の時代」「シュルレアリスムの時代」等など表現の変遷があるそうです
その時その時の積み重ねが、
後になって俯瞰した時にピカソという表現者の輪郭が浮かび上がるのかもしれません
ただしその蓄積にはクオリティの高さが担保されなければ意味は薄れてしまうでしょう
平手さんが私達に見せてくれる一つ一つに高いクオリティを感じさせるからこそ
それを感じ取った人が熱狂するのだと思います
歌謡祭のパフォーマンスの完成度を見て
もしそれをくだらないモノと思っているのならば
あそこまで作り上げるのにどれだけの努力と才能を注いだのか…
想像力の欠如と言わざるを得ないですね
と偉そうに
匿名な人の無責任な発言に匿名な私が無責任な横槍を入れるのも
ヤフコメ民と五十歩百歩、同じ穴のムジナ
なのかもしれません…★
あ
平手さんのプレイバック Part2で
車のヘッドライトに照らされたような演出格好良かったね☆