気がついたら、
鉄塔や、電信柱や、防火水槽や消火栓の標識が好きになっていました。
カメラを持って気づいたことです。
フィンダーを覗くと、今までとは違う世界が見え、
全てのものが一つの「作品」となります。
私は何かを作ったり、造ったり、創ったりする人が大好きです。
小さい頃から私の周りの友達は皆絵が上手で、
「犬をかいて」と言えば立派な犬を描いてくれました。
そんな犬の絵を見て、私は言葉では形容できないような、
キラキラわくわくした素敵な何かを感じていました。
ある人と話をしていた時です。
「夏休みに入るのに、私のスケジュール帳は真っ白だよ。」
と、私は言いました。
その人は、
真っ白
絵でも描こうよ
色塗ろう
と言いました。
真っ白で予定がないスケジュール帳に、絵を描いてしまおうと言うのです。
何気ない一言でしたが、なんだか心に残りました。
私は不器用なので、美術の成績は万年3。
もちろん絵の才能は0。
ですが、写真なら撮れます。
シャッターを押すだけで、私は一枚の「絵」を「切り取る」ことができるのです。
そして、ファインダーからみた世界で私の目にとまったのは
電柱や鉄塔でした。
花や木や鳥も好きですが、私は何故か、人が作ったもののはずなのに
景色に溶け込んでいるそれらのものにとても惹かれました。
カメラを買ってまもなく、朝五時に地元で散歩をしていた時です。
明け方の、紫がかった空を背景に、鉄塔が「静かに」立っていました。
その姿をとても美しいと思いました。
そして、なんだか寂しく感じました。
鉄塔はあれだけ大きなものなのに、人の視界に入っても
意識されるものではありません。
本当に鉄塔は、静かに、そこに立っているだけです。
きっとこの鉄塔がたてられた当初は、その周りに住む人にとっては
とても異質なもので、気になって仕方なかったでしょう。
ですが時が経つにつれ、鉄塔は景色に溶け込み、
ずっと息を止めているような静けさでそこに存在しています。
そして今では、意識しなければ気づきさえしないものになってしまいました。
何故鉄塔に、孤独や寂しさ、そして美しさを感じるのかは私もよく分かりません。
ですが、これから鉄塔のような、人工物でありながら自然に溶け込んでいるものを
見つめ続けたら、理由がわかるようになるかもしれません。