師走の空気を感じながら、学問の神様として知られる太宰府天満宮へ参拝に訪れました。
参拝を終えて少し頭を整理しようと、境内の喧騒から少し離れた喫煙所に立ち寄ったことが、今回の不思議な体験の始まりです。
紫煙を燻らせながらぼんやりしていると、一人の男性が近づいてきました。後から聞けば、地元では「名物おじさん」として知られる存在だったようですが、その時の僕は「少し変わった人がいるな」と身構えていました。しかし、彼が口を開いた瞬間、その場の空気が変わりました。
「あんたは義理人情にあふれていて、まっすぐな人間だね」
挨拶もなく投げかけられた言葉に戸惑う僕を置き去りにして、彼はさらに続けました。
「ただ、その気持ちを利用しようとする人間も世の中には溢れている。そこを見極める力が、今のあんたには必要だ」。
最初は「何を根拠に言っているんだろう」と半信半疑でしたが、話を聞いているうちに、背中を冷たい汗が流れるような感覚に陥りました。「なんで僕のことがわかるんだ?」という驚きが、確信に変わっていったのです。 実は、最近の対人関係で抱えていたモヤモヤ、自分自身で薄々気づいていた「お人好しすぎる弱点」を、そのままストレートに、かつ鋭く指摘された気がしました。まるで自分の心の中を覗き込まれているような、不思議で少し怖い、けれどどこか救われたような複雑な感情が溢れました。
「まっすぐで情に厚い」ことは、
本来自分の数少ない誇るべき長所です。しかし、それを守るための「盾」としての判断力を持たなければ、自分自身が壊れてしまう。あのおじさんの言葉は、ただの指摘ではなく、今の僕が人生を生き抜くために最も欠けていたピースを埋めてくれるような、大切な教訓となりました。
旅先での偶然の出会いが、時にどんなカウンセリングよりも深く心に届くことがあります。あの日、太宰府の片隅で言われた「見極める力」。皆さんは、自分の優しさや誠実さを、本当に守るべき人のために使えていますか?自分自身の「まっすぐさ」を大切にするためにこそ、少しだけ慎重な目を持つことも必要なのかもしれません。