色々とこの一年間、自分の壁を取っ払っては別の壁を作り続けたが
大切なモノを失うことへの恐怖と、自分を見つめなおしていた。
これは、とても重大な過ちだった事に今更ながら気付いた。
時代は変わり、人間がopenになり、よりアピールしながら
成長する時代なんだなと確認。
恥や汚点ですらも受け入れ、嫌というほど自分と対面することが
自分の成長の糧となると、まずは信じなければならない。
弱い男とは、裏切られない為に壁を作るそうな・・・
そして、それが癖になり人を信じられなくなるそうな・・・
しかもその悪循環により、悪影響が自分へと帰るそうな・・・
考えてみると、今のどん底の自分は、是に思い当たる節が
多々あるように感じる。
逆に強い男は、壁など作らず自分から乗り込んでいき
それを楽しみ自分のエネルギーへと吸収していくのだそうな・・・
これは非常に興味深いことであった。
信じきる強い意思がよいことは百も承知だが、
Godfatherに影響を受けた人間であれば、
守る事が男の正しさでは無いか?と少し考えるのである。
(世界中のGodfatherファンの皆様には悪いが勝手にそう解釈していた)
マイケルは守ろうと必死だが、(どちらともとれるが)逆の行動により
自分の心に罪を持つことになり、そこがただのカッコイイ人間像では
無く、深みをだしていた様に思えるのである。
いや、現代の日本のような社会では、それは旧型の人種なのであろうと
実感することが多い。こだわるのではなく興味をもって足を入れることが
新型への道なのであろうか?
裏切られても、信じるとはどうなのであろうか?
もう既にそのサイクルからもはみ出してしまったような
感覚にさえなるが、軌道修正を試みないと、道が全く分からなくなる
ということが、今更ながら理解できた。
とにかく気付いたのだ!
そうなのだ!!
勘違いしていた。俺は俺が中心だったのだ!
訳が分からない文だが、今の自分にもいえるので
これでもいいとおもえる。