親ガチャに外れた私。小学生のときの成績は、最悪でした。親に放置されて育った私にとって、自分の子育ては、親がきちんと子どもに関われば、子どもはきちんと育つのか?、私が家庭教師をしてなんとなく感じる、こうするべきだったのでは⁈と思うことをきちんと実践すると子どもはきちんと成長するのか?の実験でした。後悔ない子育てをすることを誓い、子育てをはじめました。


息子みたいに、ボーっとしていたであろう私。ボーっとしていろいろできないから、親も余計に放置してたんだろうと今思う。きっと私ができる子どもだったら、最悪の父親は、自分は害しか私に振りまかなくても、自慢の種として私を自慢してあるいていただろう。しかし、親が放置しているから必ず落ちこぼれるとも限らない。家庭教師をしてても、用心深い遺伝子をもつ子どもは、親が家庭教師をつけるというハードルは超えたとしても、親とはあまり関係なく、ある程度彼ら自身でやっていける。私自身がわかるのは、この世の中には、小学生のころ、私みたいな、息子みたいな、なかなか自分では、よくことわけがわからない子どもが存在するということ。ボーっと生きる子どもには、なぜか自分でなんとかする意識がない。できないことが大量にできていく。勉強できない、日常のものの管理できない、運動できない、できないだらけで悲惨な子ども時代を送る。親が管理しないことは、その事態を助長する。私は自分自身で、息子は私が支えて引っ張りあげたが、年齢を重ねることだけが助けとなる。私たちがラッキーだったことといえば、記憶力と人間観察力に恵まれたことぐらい。


ボーっとした子どもが放置されて、それが男の子だったりすると、ボーっとしたまま終わってしまう可能性があります。私自身は中学生ぐらいから、いろいろ自分でできるようになって、運動も人並みに。息子の子育て本当に大変だったのですが、子どもがボーっとしていろいろできないという理由で放置しないでほしいと。本人たちは、本当にわからないのです。

私は親ガチャに外れて多大な苦労をしたことで、自分の子どもの子育てに本気で向き合うことになり、そのことで、素晴らしい教育の機会を手にいれた自分の子どもたちを少しうらやましく思う今日このごろです。私の苦労があったから、今の子どもたちがいる。それなら私自身、親ガチャに外れたことは悪くなかったのかもと思えるようになったところです。