ほんとに欲しかったものって
なんだろう。
10歳の時にはもう
クリスマスプレゼントに
欲しいものなんて
ひとつも思い浮かばなかった。
それ以前に欲したものも
社交のために必要だっただけで
特に欲しかったわけでも
なんでもなかったんだと思う。
今思い返すと、子供の頃から
欲しいものもなりたいものも
なんにもなかった。
幼稚園の卒園アルバムに
なりたいものを書かなきゃいけなくて
周りは仮面ライダーとか
サッカー選手とか
そういう夢をみている中で
ビデオ屋さんって書いてた。
そんなものには1ミリも
興味がなかったはずなのに。
初めてそれを見返したときは
意味不明すぎて面白くもないのに
なんだか笑ってしまった。
小学生の時はバスケ選手って書いた。
6年経ったのにやっぱり夢は見つからなくて
とりあえず好きになりつつあった
バスケットボールと
すぐ近くの未来にあった
部活動とを結びつけて
なんとか捻り出した。
自分がバスケ選手になった姿なんて
全くイメージできなかったし
なれる気もしなかった。
でもリアルな自分は想像できないくせに
頻繁に架空の自分は想像してた。
ごっこ遊びが大好きだった。
子供ながらに、ごっこであることを
きちんと自覚してしまっていたらしい。
早くに自覚して思春期を迎えたせいで
自分にできないことと、できることの
見極めが異常にうまくなった。
うまくなってしまった。
無意識に線を引いて
周りにはちゃんと
頑張っているように見えて
優等生として褒めてもらえて
でも実はそんなに頑張らなくても
できてしまうラインを見極めて
それを踏み越えないようにしてた。
自分の可能性を
世間体と自分の能力から逆算して
みんなに認められるけど
無理のない適度な努力で
実現可能な範囲に設定して
それをみんなに納得してもらえるような
後付けの理屈で補強して
自分を納得させる癖がついた。
いや、最初からそうだったけど
それを意識的にやるようになった
だけなのかもしれない。
そうやって固めてきた自分の人生を
つい先日手放してしまった。
順調に世間体の良い人生を
進んできたけれど
自ら降りてしまった。
たぶんもう戻ることはできない。
大学2年生の頃に
自分は優等生ではないことを
優等生と呼べるだけの能力がないことを
嫌というほど味わって
それでも性懲りも無く
欠陥だらけの仮面を被り直して
優等生の自分として
就活を余裕でクリアしてしまって
だけどやっぱり23年間かけて固めた
ともりれいは貫き通せなかった。
欲しいものもやりたいこともないのに
それを誤魔化し続けた結果
今手元には何も残っていない。
いや、本当は欲しかったものも
やりたかったこともあった。
ただ自分がそれを
信じ切ることができなかった。
無意識に手放してしまったまま
もう取り返しはつかない。
覆水は盆に返らない。
だからこれからは
自分の欲しいものとやりたいことを
見逃さないように生きようと思う。
できることよりしたいことを
しようと思う。
手に入るものより欲しいものを
求めようと思う。
何をしたらいいかを考えるよりも
何をしたいかを考えて
まずは1週間
乗り切れたら良いな。