やっぱりこれが人生の宿題だったのかなぁ~?
この歳になって、やっと漱石の『こころ』を自分なりに読み込めたことで、一寸見通しが明るくなった気がした。
年月の体験と試練を経て、いい意味で座標軸にズレが生じたのかも・・。年齢的にも、もう死とか遺書って、負のスパイラルを想起させる意識も消えている。
先生を慕う書生と、後輩に遺書を託せる先生。
この関係って、
これ、何?
もしかして、そこに一つの光明を見出している自分・・。
人間が持つ人生への、苦悩、喜び、嬉しさ、そして哀しみ、
一人の人間が自分の生き様を通して、次世代に本気で託したかったもの。それを受け止めてくれる書生。
やがて往く自分。
『親無し、子無し、版木無し、金も無ければ、死にたくも無し』
自分には何も無い。
――私には、誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて、心もまずしい。――
そう言いながら太宰治は『富嶽百景』を書いている。
『坊ちゃん』から、長年月を経て、
やっとこじ開けた雨戸。
漱石の『こころ』
そこにやっと光明を見出した思い。
自分には何もない。でも生きるのに必死だったあの若い時、
自分を支えてくれた若い仲間たちが一杯いて、
今も思い出の断片がキラキラと輝いている。
あの時、ありがとう! って、
感謝を込めて、何か書き残しておきたい。
爺ちゃん、本当によかったというなら、
その夕映え、見せてよ!
まぁ、これが爺々の、人生の集大成なんかな・・、
と思ったりして・・・・

