『こころ』までの歳月 | 10go9

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やっぱりこれが人生の宿題だったのかなぁ~?

この歳になって、やっと漱石の『こころ』を自分なりに読み込めたことで、一寸見通しが明るくなった気がした。

 

年月の体験と試練を経て、いい意味で座標軸にズレが生じたのかも・・。年齢的にも、もう死とか遺書って、負のスパイラルを想起させる意識も消えている。

 

先生を慕う書生と、後輩に遺書を託せる先生。

この関係って、

これ、何?

 

もしかして、そこに一つの光明を見出している自分・・。

 

人間が持つ人生への、苦悩、喜び、嬉しさ、そして哀しみ、

一人の人間が自分の生き様を通して、次世代に本気で託したかったもの。それを受け止めてくれる書生。

やがて往く自分。

『親無し、子無し、版木無し、金も無ければ、死にたくも無し』

自分には何も無い。

 

――私には、誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて、心もまずしい。――

そう言いながら太宰治は『富嶽百景』を書いている。

 

『坊ちゃん』から、長年月を経て、

やっとこじ開けた雨戸。

漱石の『こころ』

そこにやっと光明を見出した思い。

 

自分には何もない。でも生きるのに必死だったあの若い時、

自分を支えてくれた若い仲間たちが一杯いて、

今も思い出の断片がキラキラと輝いている。

あの時、ありがとう! って、

感謝を込めて、何か書き残しておきたい。

 

爺ちゃん、本当によかったというなら、

その夕映え、見せてよ!
まぁ、これが爺々の、人生の集大成なんかな・・、

と思ったりして・・・・