日本人ではじめてノーベル賞を授賞した湯川秀樹の言葉です。
中学生の頃、物静かで口数が少なかった為、存在感がなさすぎてみんなに権兵衛と呼ばれることに。
なぜ権兵衛??笑
よくわかりません。
そして、面倒な問題には首を突っ込まないタイプの湯川少年。
面倒だと判断したことは何を聞かれても「言わん!」と答えていた為、あだ名は権兵衛から「イワンちゃん」に。
ちなみに湯川少年、このイワンちゃんは気に入っていたそうです。笑
この時父親は他の兄弟に比べて成績の悪い湯川少年のことはもう半分諦めていたそうです。
そして先生になった湯川秀樹、声が小さすぎて生徒からはブーイングの嵐。笑
内容ではなく、聞き取りが難解だと逆に評判に。
ついには「もうちょっと頑張ってくれないと困るんですけど。」と主任教授に怒られてしまう始末…。
それでも湯川秀樹は自分を貫いた。
自分が好きなことには徹底的にのめり込むタイプの湯川秀樹。
中間子理論構造とかいう僕にはついていけない理論を打ち立て、一躍有名に。
当時戦争中だったため、日本人は海外から認められづらい風潮にあったにもか変わらず、どんどん賞を授賞することに。
そして1949年、ついに日本人ではじめてのノーベル賞を授賞。
当時敗戦後の日本人に希望の光を灯したのでした。
口数が少なかった権兵衛が!
何を聞いても「言わん」しか答えなかったイワンちゃんが!
日本の希望になったのです。
のちに湯川秀樹の研究は、「ノーベル賞の歴史の中でも稀なほど、研究結果との関係が明瞭である。」と言われたほどめちゃめちゃしっかりしていたそうです。
パッと思いついたのではなく、執念で研究し続けたからこそでしょう。
アイディアは天から降るものではなく、地を耕して育ててはじめて花開くもの。
アイディアは執念で出しましょう。
はい。
では今日も一緒に、
「アイディアは執念で出す!ポチ!」
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