今日、人生で2度目の入社式に出席した。

 

第二新卒として雇ってくれた会社。

きらきらした眼をした、新卒者方と肩を並べた。

内定を頂いてからずっと不安に思っていた長期にわたる泊まり込みの研修も、

なんとかついて行けるように、周囲と打ち解けられるようにやっていこうと思う。

 

そんな気持ちとは裏腹に、自分の中で暗い気持ちが渦巻いているのが分かる。

分かってはいるが、自覚しきらないように出来るだけ目を背けている。

自分から見えないように、自分でその気持ちを隠している。

 

5日前に、祖母が急逝した。

80歳ほどだった。

日本女性の平均寿命はたしか86歳ほど。

寿命というにはまだ少し若かった。

 

入院中、リスクのある処置をして、そのリスクに従うかたちで亡くなった。

承知の上でのことであったらしいので、全く仕方の無いことだった。

 

3年前、祖母は自宅の中で転倒してから入院することとなった。

私も家族も、恐らく本人も、すぐ退院して自宅に戻れるだろうと、考えていた。

 

しかし、糖尿病をも煩っていた祖母は、様々に悪いところがみつかった。

入院しながら、他の治療も始まった。

ほどなくして、コロナウイルスの流行も始まった。

 

祖母には会えなくなった。

 

電話が好きな祖母だった。

最初の頃は、よく電話を掛けてきてくれていた。

声も溌剌として、元気そうだった。

 

そうこうしている間に1年が経ち、2年も経っていった。

 

祖母が電話を掛けてくることが少なくなっていた。

社会人になりたてだった私は、そんな頻度の減少に気づかずに、

もしくは気づかないふりをして、自分の日常を過ごしていた。

 

2年目が終わる頃、祖母は以前の明るくはきはきと、ほがらかに話していた声ではなくなっていた。

どこかか細く、弱々しく、小さな声で、ゆっくりと話すようになっていた。

 

私はあまり気にも留めずに、祖母の途切れ途切れの話にうんうん相づちを打っていた。

 

3年目になり、私は新卒で入社した仕事を辞めた。

祖母に報告すると、何も聞かず、何も責めず、ただうんうんと、

また一から頑張れよと、ゆっくりと言葉を見つけながら励ましてくれた。

 

それが祖母との最後の通話だった。

 

転職先への入社まであと4日となり、泊まり込みの研修の準備をしていた。

私は一人暮らしをしていたが、研修に持って行きたい荷物があるため、実家に帰省していた。

 

実家につくやいなや、母に連絡が入った。

祖母が危篤状態になってしまったと。

 

急いで病院に向かった。

片道40分の場所にあった。

 

頭の中は凪いだように落ち着いていた。

現実味がなかった。

あの元気で明るい祖母が危篤状態など、ありえないと考えていたのかも知れない。

 

私の祖母なのだから、どうせすぐ直ってまた元通りになって、

また電話で話せるようになるだろうと、そのようなことを考えていた気がする。

 

病院に着き、容態が回復したと聞いた。

ほら、やっぱり大丈夫だった。そう安堵した。

だってあの祖母なんだから。

 

5月までは面会禁止だが、せっかくだから特別に10分合わせてくれることになった。

 

祖母が待つ病室に入った。

とたん、全身が熱くなった。

 

とても苦しそうな呼吸で顔を振るわせ、目は開いているものの眼球がどこか上を向き、

首が大きく腫れている祖母を見た。

 

3年ぶりにちゃんと見た祖母の体は、あんなにふくよかだった体は、

文字通り骨と皮になっていた。

触れてみると、冷たかった。

 

怖かった。

側にいたい気持ちとは裏腹に、その場から一刻も早く離れたい気持ちでいっぱいだった。

祖母のそのような状態を、見ていたくはなかった。

 

声をかけたら、祖母は喉から絞り出した声で唸るように返事を返してくれた。

 

ほっとした。

よかった、声は聞こえているし返事も出来る。

これは絶対回復する。

ほら、息も安定してきている。

 

冷たい祖母の手を握りながら、そう安心した。

先程記入した問診票に体温を書き損じていたらしく、看護師さんがやってきた。

念のため検温させてくださいとのことだった。

病院に入ったときには36.0℃だった体温は、いつのまにか36.7℃になっていた。

 

10分です。

そう告げられ、帰路についた。

夜勤明けで寝不足の母を乗せ、帰りの車を運転した。

よかったね、また明後日にでもばあちゃんに電話しようね、そう言いながら実家に到着した。

秋にあるお兄ちゃんの結婚式までに元気になってくれたらいいね、そうも言っていた。

 

数時間後、息を引き取ったとの連絡があった。

 

そこからは怒濤の4日間だった。

まともに悲しむ間もないほどだった。

 

最初はまともに現実が受け入れられなかった。

しかし、ご飯を食べているとき、髪を乾かしているとき、運転しているとき、

祖母との記憶がふいにフラッシュバックして、断続的に涙が止まらなくなっていた。

 

祖母が作ってくれるわかめご飯のおにぎりが好きだったこと、幼い頃髪を乾かしてくれたこと、

以前亡き祖父と一緒に海へドライブに連れて行ってくれたこと。

 

お通夜、お葬式までは出席出来たが、火葬場には出発時刻の都合上行く事が出来なかった。

 

祖母とお別れする間際、火葬される直前の祖母のきれいな顔を見て、

最後まで一緒にいられない罪悪感と、受け入れがたい現実とでいっぱいいっぱいになった。

しゃくりを上げて泣いたのは、いつぶりだったか。

 

一緒に自転車を走らせてお墓参りに行ったこと、日曜の朝に早起きして一緒に朝一へ行ったこと、

祖母が電話にでるときの、私の名前を呼ぶ声。明るくて優しい笑い声。

亡くなった祖父とご先祖様に、決まった時間に毎日必ず念仏を唱える姿。

数日前母が祖母と電話していたとき、祖母は私のことを一番心配していたと聞いたこと。

一番可愛がってくれていたと聞いたこと。

 

葬式場を出ると、満開の桜が風になびいていた。

明るく朗らかな、祖母らしいと思った。

季節行事などが好きな祖母がこの景色を見たら、喜ぶだろうと思った。

3年間ずっといた病室から自由になって、この景色を見ていたら良いなと思った。