地下鉄から103系の定期運用が無くなって1年・・・

早いものです。では、今回はその末期の様子を振り返ってみようかと
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これは定期運用での地下鉄乗り入れ最終日の様子。最終日は残念ながら、分割編成での運用でした。

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そして、これが3月3日の103系貫通編成(非分割編成)の運用最終日。最後の列車は661Cで303系の代走でした。

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103系1500番台最後のMG搭載車でした。

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交流電車と並ぶ、役目を終えた103系

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ここは西唐津?いいえ、竹下です。

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1編成・・・また1編成とDE10牽引で廃車回送されていきました。一部の編成は竹下や門司に疎開留置されました。

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疎開る打ちした車両にも自連が取り付けてあり、自連が不足したためか、入場回送や多くの編成の廃車回送では自連に交換するものの一部の編成は自連ではなく密自連に交換した編成もいました。

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廃車回送時には既に部品が外された編成もいました

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定期運用終了後も数日は代走で地下鉄に乗り入れた103系。しかし、3月12日。ついに、代走での乗り入れも終了し。翌日には姪浜車両基地に9日から留置されていた編成も唐津へ回送。本当の本当に地下鉄・筑前前原以東の筑肥線から103系が消え去りました。
写真は最終日の波多江駅。

あの日以来、本当の本当に103系がやってくることはなくなってしまいました・・・・

もう二度とやってくることはないのでしょうか・・・
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今日で、私の愛車モハ103―1510が営業運転を終了して1年ということで、今回はE10編成特集で行きたいと思います。

写真は最後の営業運転となった621C充当中の筑前前原駅での快速1628C充当中の305系W3編成との並びです。

当時、1628Cは303系での運転でまだ305系と303系が共通運用になる前のことでしたので、これは偶然が重なった結果撮れたものです。
なお、当時の1628Cに305系が充当された理由ですが、入場中の303系の代走によるものでした。

余談ながら、このころは、303系運用3運用中2運用代走というのがあり、代走は305系と103系が1編成ずつはいったことから所定303系となる運用は1運用ずつ形式が異なる電車が充当されるというこの時ならではの出来事もありました。


話がそれましたが、本題に入りましょう。

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いや、お前、さっき103系E10特集って言ったじゃねーかよウソついてんじゃねーよって?

いえいえ。実は、これ、E10の車内から撮影してます(かなり伝わらない)

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こんな感じ

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最終全検出場直後のE10。置換時期の関係上とはいえ、出場から1年ほどで廃車になってしまうとは・・・


あれから1年・・・

長かったような短かったような・・・
さて、本日で305系営業運転開始1周年となりました。それでは、305系が営業運転を開始した直後の103系の様子でも振り返ってみたいと思います。

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1年前の今日の623C。E09+E10が充当されています。つまり、私の愛車モハ103―1510が充当されています。
1年後、つまり、今日の623Cは305系W6編成が充当されており、偶然にも私の旧愛車が平成27年2月5日の623Cに充当され、新愛車が平成28年3月5日の623Cに充当されるという珍しい事案が発生しました。
ちなみに、最初に営業運転を開始した305系W1編成は今日(平成28年2月5日)は1年前の2月5日と同じ運用に入っていました。

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305系W3編成の甲種と入換に西唐津を追い出されたE01編成の廃車回送。末期はずっと交検庫の中にブチこまれてました。

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スカートの色が変色というかおかしなことになってます・・・

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波多江駅を発車していく103系。今では保留車になってしまたE15編成です。

複線区間を走る103系1500番台も見られ無くなってしまいました。

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西唐津にて103系と305系の並び

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E15編成と同じく保留車になってしまったE11編成。現在、西唐津に留置されています。

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極わずかな期間だけ見られた103系と新型電光掲示板のコラボ

あらら・・・ここで容量オーバーとなってしまいました。

では、また次回もお楽しみに。。。(ちょっと更新頻度がテキトーすぎるなぁ。。。)