いつも読んでいただいて感謝します。


あなたは 今
2畳ほどの部屋にいて
毎日毎日
そこだけで生活しています。

ある日
こんな狭い部屋での
生活は可哀想過ぎるから
今日からは
倍の4畳の部屋にしてあげよう!

そう言われて
あなたは嬉しいですか?


2メートルのリードで
動けるだけが
あなたの生活範囲ですが

こんな酷い扱いは
許されない!
今日からは
リードはもっともっと長くするからね。

そうしたら
あなたは幸せを感じますか?


動物愛護ってなんでしょう。
動物福祉ってなんでしょう。

ライオンの檻が
猿たちの檻が

狭いから広くしよう。
もっと自然に近い環境にしよう。
交配させて
もっと増やしていこう。

そうでは無いですよね。
自然に生きるものは自然に。
それが普通のことなんです。


「我々は『 ケージを大きくする  』のでなく
『 ケージをからにしろ 』と言っているのだ。」
                 トム・レーガン氏の言葉
それが
1970年代に始まった
「 動物解放運動 」なのです。

私は
【⠀動物解放⠀】という言葉を知ってから
ずっと思ってきました。

犬や猫は(伴侶動物)
今は室内で家族として
過ごすのが最良とされますが

たくさんの生き物は
展示され
餌を与えられ
芸をさせられ
生かしてもらっています。
生きているのではなく
生かしてもらっているのです。


その環境を良くするのではなく
その環境から解放すること。

昔、奴隷として連れてこられた人々。
劣悪な扱いの元
一生を終え
生きていることの方が
痛みの多い生活でした。

じゃあ
奴隷たちの労働環境を良くしてあげよう!
そういう問題ではなかったのです。
奴隷という形からの解放を願ったのです。

それが【   奴隷解放⠀】でした。

同じことなんです。
生き物たちの問題も。

動物愛護や
動物福祉。
もちろんとても大切な事ですが

それは【⠀動物解放  】とは
違います。

私たちは
何とか野良猫さんを助けたい。
野犬と呼ばれる存在を無くしたい。
飢えや暴力から救いたい。

そう思っていますが
一方では
「  美味しいものを食べたい  」
とも思っているのです。


その手に
ハムを挟んだサンドイッチを
食べながら(ハムとサンドイッチの問題)

動物愛護や
動物福祉の
話をしているのです。
生き物を食べないと
生きていけない人間なのです。
植物も生きていますから…

その矛盾を
文章に残した  宮沢賢治さんの
「注文の多い料理店」を
読んだことがありますか?

動物を撃つことを楽しみに来た
二人の人間は
道に迷った挙句
山の中の料理店に入るのですが
このお話では
人間たちが
食べられる側 になるのです。

食物連鎖の頂点にいる人間が
他の動物のように
食物連鎖の一部なら…
どうだったでしょう。

宮沢賢治さんの
突き詰めた考えは
「 結局は 生き物を食べないためには
     自分の存在が無いのが一番ではないか  」
自分の倫理観に従うのなら…です。


私は
宮沢賢治さんのようにはなれないので
肉は食べませんが
魚も野菜も食べています。

ムギやりーくん。
アインのフードやおやつも
ササミだったり
鰹節だったり
煮干しだったり。

世の中は
生き物で溢れていて
弱いものは強いものに捕食されていくけれど

例えば
オタマジャクシは
仲間同士で身を寄せて
塊となり
大きな生き物のように見せます。

そして捕食されるのを
防ぐのです。

           朝顔がまた咲きだしました

人のように
言葉は持たなくても
高い知能は持たなくても

生きていく知恵は持ち
そして
何より苦痛は感じるのです。

苦痛を感じるものを
私たちは蔑ろにしてはいけないのです。

違いますか?


全身で
痛みと恐怖を感じている
動物たちを

解放してあげたい。
自然に
解き放ってあげたい。

それは
鶏のケージを広くしたり
平飼いにしても

鶏たちが
寿命ではなく死ぬことに
変わりは無いのです。


秋がやって来ました。
自然は移ろい
冬が来る準備も
もうどこかでしています。

地球も人間から【⠀解放  】してあげたい。
そう思う私がいます。

けれども  そんな日が
来ることは無いと
思っている私もいるのです。

      秋の澄んだ空と色づき始めた桜の葉