いつも読んでいただいて感謝します。

どうしても
私がそれは違うと思うこと。

  月ヶ瀬梅林に行ってきました  まだたくさんの蕾が。

都会から移住して
新たな生活を始めるという
番組を見て…

田舎に移住してみたら
村の人たちは
農作物の害獣被害に
困り果てていました。

その事を知って
猟師になった女性の話です。

その出発点が
私には苦しいのです。
 
   曇り空…梅林からの景色

何故
殺す方へと
考えがいってしまうのでしょう。

住民たちと
里山を整備して
森や林に獣たちを
帰してあげることはできませんか。

見ているのが苦しくて
ふと気がついたら
画面がぼやけていて

あ、泣いているんだ私…と
気が付きました。

  息子の背中に

農家さんが懸命に
農作物を作ります。
その
農作物を荒らす
イノシシや鹿を
銃で撃ち殺す。

女性が言います。
「私は癌になり
    命の大切さを誰よりも知っています。」

だから何?

食べてあげることで
自分が狩った命は
報われると思うのですか。

動物たちが
感謝してくれる。

命を奪われた上に
皆で楽しく
笑いながら
自分の肉を食べてもらうことが
イノシシや鹿の
幸福だと思うのですか。


私には とうてい思えないけれど
この女性が
【   葛藤⠀】しながら
猟師を続けることを
素晴らしいと
思う人もいるのでしょう。

   暖かい春の日  日向ぼっこをしています

出発点が違うのです。

田舎に移住をして
農作物の被害を知り

住民と協力し
行政に掛け合い
昔あった里山をつくり

野生の動物との
境界線を引くこと。

長い時間がかかるから……?
撃って殺して食べてしまえば
一番簡単だから……?

犬や猫の殺処分と同じです。

人馴れさせて
医療にかけて
譲渡するより
命奪ってしまえば
いちばん簡単。
そう考えるのと同じです。

そして
侵入した野生動物を
打ち捨てておくよりは

食べてあげることで
【⠀命   】を考えています。
私は病気になったことで
【⠀命   】を考えていますから。
そう話す人。

自分が医療で助けてもらった命なら
何故
野生動物との共生を
考えないのでしょう。

前に見た外国のドラマで
キツネが
家で飼育する鶏を襲った時に
キツネを罠にかけて殺すより
キツネが入らないように柵をする…

そんな解決の仕方をしていました。


人の知恵は
【⠀生かす  】方へと
使うのが自然だと思うのです。

農家の人から
鹿が罠にかかったと
連絡があって
駆けつけた女性。
「 苦しみや痛みが少ないように
     仕留めます。」
それは 思いやりのつもりなんですか。

罠にかかって
逃げることの出来ない
鹿を射殺します。
そして新鮮なうちに
狩った動物を解体して
カフェで調理して出すという。

それが【   命の循環⠀】だと
するのが主旨なら

とうてい私には
受け入れられない話でした。


月ヶ瀬梅林を歩いていたら
露店で
「鹿の角」を売っていました。
骨だけの顔もありました。

下の女の子が
「可哀想…」と
何度も言いました。

猪鍋を出しているお店も
ありました。


罠にかかり
二度と山に帰ることなく
命を終えた
鹿やイノシシ。

大切な家族や仲間が
待っているのは
野生の動物たちも同じです。

人間だけだと思っているのですか。