いつも読んでいただいて感謝します。

「もうあなたは
    じゅうぶんに生きましたよ。」
「国もお年寄りのあなたに
    そんなにお金はかけられないんです。」


あるいは
「未来ある子どもたちのために
    高齢者は辛抱してもらわないと…」

 あなたが
そう言われたら
どう思いますか?

【⠀プラン75  】という映画の中で

人は75歳から先を
生きてもいいし
生きるのをやめてもいい。
それを
自分で選択できるのです。


生きづらい世の中です。
高齢者に
仕事はなかなか見つかりません。

あなたは
「 なんて世の中なんだ。
     生きることを
     勝手に区切らないでくれ!」
そう憤りますか?


茨城県が
三年間ゼロにしてきた
殺処分を再開しようとしています。


    写真はCAPINさんの公式ページからお借りしました

私たち人間は
【⠀プラン75  】の中で

生きていくのか
もう生きるのを止めるのか
選択することが出来ます。

けれども
殺処分が決定したら
犬たちには

生きるという選択肢は
ありません。
死ぬということも
自分で選んだ訳ではありません。

自分のことには
理不尽だ!と腹を立てても
殺処分になる犬たちのことは

「仕方がない」で済ませます。

収容過多と言われても
犬たちになんの責任もありません。

すべての責任は人間にあるのです。

  りーくんはアインのことをいつも心配しています

何故  人間は
自分たちの死をおそれ
長生きを願うのに

人以外の生き物の
【   命⠀】に
こんなにも無頓着なのでしょう。

  ムギが遊んでいます

こうやって
今を生きている
犬や猫たちの

鼓動を止めてしまう権利が
何故 人間にあるのでしょう。

【  プラン75⠀】では
政府が
人の呼吸を止める権利を持ちます。

「死ぬこと」を決意した人間が
意思を変えないように
サポートします。

サポートする側の気持ち。
サポートされる側の気持ち。

意思を現すことは
人間だからできるんです。

犬や猫や
害獣として処分される
動物たちは
「殺さないで!」
「生きていたいよ!」
そんな声をあげられない。

否応なしの
死が待っているだけです。


久しぶりに
少し遠くから 従兄弟が来てくれました。
「 犬が一匹増えたよ。」と
言うので聞いてみたら

近所に繋がれたままの
フレンチブルがいて
その犬が
ろくに食べさせてもらってなくて
すごく気になっていた…と。

そんなある日
ボロボロになったリードが切れて
フレンチブルくんは
逃げてきたのです。

生きたい!
そう思ったのでしょう。

従兄弟は一言
「貰っていくから。」
と言い、飼い主は
「持っていけ。」
という返事を返したそうです。


このフレンチブルくんは
「生きる道」を
探し出したけど

茨城県の
収容過多と言われた
この犬たちに
どれほどの生きる道が
残されているのでしょうか。
この殺処分候補の犬たちは
ERPの募集をして終了しました。
引き出して貰えます!良かった…。
(けれども根本的な問題は残っています)


私が生きているこの世界に
もしも
「プラン75」があったら……

自分の命の決定権が
自分になかったとしたら。

少しは
殺処分される犬や猫の気持ちが
分かるでしょうか。

  
この子の鼓動を止めるのは
誰でもありません。
神様に任せています。