こんにちは。

 

 

渡邉希久子です。

 

 

昨年から書こうと思いつつも

なかなか書けなかった美術鑑賞についての事を書こうと思います。

 

 

皆さんは美術館やギャラリーなどには行きますか?

絵や美術作品に対して、何か想うところはあるでしょうか。

 

 

私自身は、近年、少しずつ美術館に脚を運ぶようになりました。


一人で過ごせる時間が増えたというのもありますが

絵を描く仕事をしている割に行ってない時期も長く

最も頻繁にギャラリーや美術館を巡っていたのは、学生の時期まで遡ります。


思えば、あの頃は、展示されている作品に対し

好き嫌い、良い悪い、位の感覚でしか観ていなかったように思います。

自分が好きでないものは関係無しと言わんばかりに。


自ら作品も作る立場だったので

兎に角、自分にとって好きで役立つもの

手っ取り早く吸収したいという

良く言えば勉強のため、悪く言えば個人的で幼い視点でしか観られなかったのだと思います。


私自身が美術鑑賞がちゃんと(ちゃんとと言うのも変ですが)

出来るようになったのは、ほんとに、ここ近年のように思います。

 


美術鑑賞というと堅苦しいですし、

作品の見方なぞは、人それぞれで良いと思っていますが

私ごとで言えば、作品を通して自分が何を感じているかを見つめてみる事をしています。


作品を観ながら内観していく。とでも言いましょうか。


また、作家の人生を追っていくと、人生のどの地点で転機が訪れ

また、何がきっかけとなって花開いていくのか。

 

 

その作家の作品になっていくのか。を観ていくのが面白いと思うようになりました。

 

 

昨年の12月、生誕110年の東山魁夷展へ行った時のこと。

 

 

どの作家もそうなのですが、初期の頃はその人の作風がまだ現れていない時期があり

昔だったら、急ぎ脚で観てしまうところなのですが

何か、なかなか形にならないもがきや試行錯誤の筆跡を観ていくうちに

作家の作品になっていくきっかけが随所に散りばめられていて

それが時の経過と共に結実していく様子が伺えます。

 

 

東山魁夷自身は、長らく、自分は絵が下手であると思っていたそうです。

 

 

ただ、他人からは、下手だと思われるような要素から一転して

マイナスをプラスにひっくり返すように

東山魁夷独自の作風が生まれたのではないかと

絵を観ながら思ったのでした。

 

 

初期の頃の風景画より、大きな変化ではなく少しずつ

作風が東山魁夷の絵になっていく。

 

 

下手だと思う要素を受け入れていった結果に

あの作品群が生まれているように思ったのです。



作家が絵を描く時、見つめる視線がどこにあるのか。
そんな事を自分の視点も重ね合わせて想像しています。


東山魁夷の作品には、どこかで見たような風景ではあるのに

その風景の中に神様の存在を感じます。

 

 

それは、作家自身が作品に祈りを込めて描いているから

ではないかと思っています。


 


美しい作品には祈りがある

と感じています。


ただ、意味も分からず感動する

ということも大事ですが(うんちくは後からでも)

自分なりの想いを巡らしてみることも

楽しみのひとつになっています。


また、作品を通して多くの人の感情を乗せる事ができたり

内観が出来るということは、その作品の器の大きさを示すことになるのかと思うのです。

 

 

皆さんは、どんな氣持ちで絵を観ていますでしょうか。

 

一枚の絵の中から、何が見えてきますか。

 

 

 

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