プラチナ・エイジ                 ~ワールドカップ優勝へのプロジェクト~

プラチナ・エイジ                 ~ワールドカップ優勝へのプロジェクト~

そのプロジェクトは 「ドーハの悲劇」 直後、「2018ワールドカップ優勝」 を目標としてスタートした                         ジーコ、リネカー、リトバルスキーなど、Jリーグ創設期外国人プレイヤーの子供たちが日本代表に!?

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 日本サッカー界において、黄金世代・ゴールデン・エイジという言葉がある。

 1979年1月以後の約2年間に生まれた世代のことだが、特に狭い範囲では1979年4月から1980年3月生まれの一学年のことを指す。

この学年は小野、高原、稲本、小笠原、中田、本山、遠藤、加地、幡戸、橋本、羽生、坪井などがおり、10年以上も日本代表の中心として活躍している。

日本サッカー史上、後にも先にも一学年でこれだけの才能が集まったことはない。

まさに突然変異と言えるかもしれない。


ではなぜ突然この黄金世代が誕生したのか。

サッカーオールドファンは知っているが、彼らが生まれた1979年は日本でサッカーの一大イベントがあった年である。

日本で開催された初めてのFIFA国際サッカー連盟主催の大会「ワールドユース選手権」だ。

アンダー20日本代表は残念ながら一次リーグで敗退したが、日本初の大会はおおいに盛り上がり大成功で幕を閉じた。

ちなみに優勝国は、マラドーナやディアスを擁するアルゼンチンだった。


そうだ、子供をおなかに宿した母親が、この大会を見て熱狂したために黄金世代が生まれたのだ・・そんなわけはない。

ただ20年後、黄金世代がナイジェリアで開催されたこれと同じ大会に出場。

そして日本が初めてFIFA主催の国際大会で決勝まで進み、準優勝することで不思議な縁は感じる。


Jリーグが開幕したのは彼らが14歳の時。

そしてワールドカップアメリカ大会を逃したいわゆる「ドーハの悲劇」も同じ年である。

もっとも多感な時期、そしてもっともサッカーの技術が向上する時期にそれらを見て感じているのだ。

14歳の心の中に、Jリーグ、そしてワールドカップ出場という強い目標ができたことは、黄金世代を誕生させたひとつの要因かもしれない。


その前の世代には明確な目標がない。

Jリーグ創設前の日本リーグはスタンドに閑古鳥が鳴き、ワールドカップ出場は夢の夢という時代だ。

そしてその後の世代は、逆にJリーグは当たり前、ワールドカップ出場も当然という時代になってしまった。

黄金世代は日本サッカー冬の時代を知る最後の世代、そして夢と目標を強く持つことができた世代だと言える。


しかしその黄金世代もワールドカップという世界の舞台では活躍できていない。

唯一組み合わせに恵まれた自国開催の2002年だけは2勝しているが、それ以外の大会では勝っていない。

ワールドカップで勝つためには、上位に進出するためには、黄金世代を超える世代の登場が待たれる。


しかし残念ながらその世代はまだ出てこない。

ゴールデン・エイジを超える「プラチナ・エイジ」はまだか。

待っていればいつか出てくるのか。

いや、待ってはいられない。

 創り出すのだ・・