その日、私は自宅葬担当で、まもなく喪家に向かうそんな時。


事務所に電話が鳴り響き、搬送依頼の名前は先輩 でした。




先輩が、亡くなった。。




目の前の仕事。


爽やかな6月の田んぼの上をそよぐ風に吹かれながら


お坊さんが読経をあげ、焼香が終わり、自宅出棺を見届け


火葬場の受付を済ませると、すぐさま、事務所に取って返して


先輩のうちへ打ち合わせ書類を持って向かいました。




先輩が、確かに布団に横たわってる。



お線香をあげたら、家族の方と話そうと思っていたのに、


顔当ての白覆いをはずして、顔を見たら


涙が止まらなくなってしまって・・・




この会社に入ってから、本当に親身になって


色んな事を教えてくれた、冗談で和ませてくれた。。


思い出したら、後からあとから涙があふれて


どうしようもありませんでした。




家族の方と話をして、菩提寺さまとの日程も決まり、


火葬場に電話をすると、


いつも真面目でテキパキ聞いてくる火夫さんが、


言葉に詰まって、電話の向こうで泣いている。。。




つられて、、また・・私も我慢していた涙があふれ


【住所、連絡先、お名前、年齢、待合室の有無】を


言わなくちゃいけないのに、先輩の名前がどうしても


はっきり発音できなくて・・・




ようやく火葬予約して、スケジュール確認が終わり


先輩の家を出たのでした。




事務所に戻ると、別の告別式で来ていたレディさんたちや、


事務員さんたちも目が真っ赤で・・・



そんな自分や、みんなの気持ちを感じながら


いつかその日が来るだろう、と分かってはいても、


その日が来ると、どうして、こんなにも悲しいんだろう。と。




グリーフケアの勉強会や、グリーフの本を読んで


【悲嘆】について、多少なりとも知っていても、


【知識があることと、実際にその経験を体感すること】は


全く違う。


さかのぼれば、叔父の時も、祖母の時も、同じように


泣いた。


悲しかった。



本当に、人それぞれに固有の別れがあって、


それは全てが一様ではない、と。。


それを肝に銘じて、仕事しろよ、と。



知識として知っているけど、そうじゃない。


身をもって体感するよう、


先輩は亡くなっても、なお、私に様々なことを教えてくれている。



そんな気がしてなりません。





性格が真っすぐすぎて、不器用だ、と言われたけど、


使命=命の使い方。


なんのために生きているのだろう、と考えたとき、


自分にできる役割をまっとうすることが、命の使い方


なのかな、と。




そんなことを気づかせてくれた先輩。



先輩のご納棺。



私がやるのを、きっと隣で見てるだろうな。




今日も行ってきます。


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