昨日のつづき
+…+…+…+
仕事の流れを頭の中で考えてたから、一体どこをどぅしたら、法話の中でその話になったのか、話の入り口が今では全く想い出せなぃのですが、、
通ってた座禅堂のご住職が、太くて低い、でもよく通る老人ならではの声色で話し出しました。
『落ちてゆくイチョウの葉っぱを見て、人は
“あぁ、切ないなぁ。”
と想うでしょう。
けれど、落ちてゆく葉っぱ自身は、落ちてゆくことすら分からない。
ただただ、ひらひら陽射しを浴びて、表になったり裏になったりしながら、そのまんまで落ちてゆくんですよ。
人も同じこと。
亡くなる時に、
“あぁ、俺は死んだんだ、切ないなぁ”
とは感じないんですよ。
それだったら、死んでない(笑)。
つまり、みんな誰もが、今、この瞬間にしか生きてない。
過去は過ぎ去ってしまってるし、未来は永久に来ていない。
瞬間、瞬間がずっとつながってるだけなんですよ。』
+…+…+…+
つづく
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仕事の流れを頭の中で考えてたから、一体どこをどぅしたら、法話の中でその話になったのか、話の入り口が今では全く想い出せなぃのですが、、
通ってた座禅堂のご住職が、太くて低い、でもよく通る老人ならではの声色で話し出しました。
『落ちてゆくイチョウの葉っぱを見て、人は
“あぁ、切ないなぁ。”
と想うでしょう。
けれど、落ちてゆく葉っぱ自身は、落ちてゆくことすら分からない。
ただただ、ひらひら陽射しを浴びて、表になったり裏になったりしながら、そのまんまで落ちてゆくんですよ。
人も同じこと。
亡くなる時に、
“あぁ、俺は死んだんだ、切ないなぁ”
とは感じないんですよ。
それだったら、死んでない(笑)。
つまり、みんな誰もが、今、この瞬間にしか生きてない。
過去は過ぎ去ってしまってるし、未来は永久に来ていない。
瞬間、瞬間がずっとつながってるだけなんですよ。』
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つづく