101歳のロバートブル-

                                 角次郎

序章

 私の名前はロバートブルーだ。勿論本名ではない。今ケアホームで暮らしている。

私がケアホームで暮らしていると知れば世界は驚くだろう。

 同じホームに住んでいる同居人たちも私のことを誰も知らない。

だからロバートブルーになった。

 とても平穏である。ここでは地位や名誉、勲章なども関係ない。

ただただ日々をやり過ごしている。まあこれから私の辿った軌跡を聞いてくれ。

 人は誰しも、自らの人生に意味を求めるものだ。生まれてから今日に至るまで、数えきれない選択をし、幾多の出会いと別れを繰り返してきた。

 振り返れば、決して平坦ではなかった道のりが、今の私を形作っている。

この物語は、私自身の人生を辿るものだ。私が何者であり、どのように歩んできたのかを語ることで、あなたの心に何かしらの灯火をともせればと思う。

 幼少期の記憶は鮮明ではないが、それでもいくつかの場面はまるで昨日のことのように思い出される。

 家の庭先で遊んでいたときの草の匂い、初めて自転車に乗れた日の高揚感、父が厳しくも優しく教えてくれた人生の教訓そして、高熱で寝込んだ時に母が与えてくれた何気ない優しさ。

 そんな些細な出来事が、私の人格を形作る一片となった。人は成長するにつれて、自分が何者なのかを探し始める。学校生活の中で、自分の得意なことや苦手なことを知り、友情の大切さや挫折の痛みを学ぶ。

 思春期には、自分の価値や社会との関わりに悩みながら、模索し続ける時期もあった。

 まるで霧の中を歩いているような感覚だった。やがて、人生の選択が本格的に迫ってくる。

 どの道を進むべきか、どのような未来を描くべきか。時には後悔し、時には自信を持って前に進む。

 成功もあれば、失敗もある。しかし、そのすべてが私の人生を豊かにし、意味のあるものへと変えてくれた。

 人生には否応なしに壁が立ちはだかる時がある。その壁には必然的な意味があり無意識に壁に対し嫌悪感を持つ事だろう。

 壁を乗り越えることに意味があるのではなく、壁に対してどう対処するかを考える時間が意味のある事に人生後半で気が付くものだ。

 乗り越える事乗り越えないことは大きな問題ではない。人生を振り返ればあの壁あの選択あの避けられない状況には全て意味があり、大局的な観点から、人生は各個人が持つ法則によって見えない力に導かれ、その法則から逃れることが出来ないまま老いてゆく。

 万物は、輪廻転生しているのかもしれないと考えることもよいかもしれない。人生の終焉は、単純に今ある意識が終了する事であり無にかえすることではないといえる。

 終焉の解釈は各個人の考えにより判断すればよい。ただ私はそう思うことにしている。

 この回顧録を通して、私の経験や思いをありのままに綴りたい。そして、これを読んでくださるあなたが、自らの人生を振り返るきっかけとなれば、これほど嬉しいことはない。

 さあ、私の人生の物語を共に歩んでみよう。