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田無神社の創建は、鎌倉時代後期の正応年間(1288年 – 1293年)と伝わり、同社は田無北部の谷戸の宮山に鎮座し、尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)と呼ばれ、龍神を祭神としていた[1]。
江戸時代初期、徳川家康が江戸幕府を開くにあたり、城や町の建造のために大量の石灰を必要とした。家康は、石灰を青梅の地に求め、青梅街道を開いたが、その際、肥沃な谷戸の住人が南の青梅街道沿いに移住し、宿場町・田無を造営した[1]。この動きの中で、1622年(元和8年)、宮山に鎮座する尉殿大権現が上保谷に分祀され、1646年(正保3年)、宮山から田無(現在地)に分祀され、1670年(寛文10年)、宮山に残っていた尉殿大権現の本宮が田無に遷された[1]。
1872年(明治5年)、尉殿大権現は熊野神社、八幡神社を合祀、田無神社と社名を改めた。その際、主祭神・大国主命と須佐之男命、猿田彦命、八街比古命、八街比売命、日本武尊命、大鳥大神、応神天皇をも祀り、現在に至っている[1]。
〘御祭神〙
大国主命(おおくに ぬし の みこと)
尉殿大権現(じょうどのだいごんげん) – 金龍神。兼務社の尉殿神社ではシナツヒコ
五龍神(金龍神、青龍神、赤龍神、白龍神、黒龍神) – 五行思想に基づく[3]
須佐之男命(すさのお の みこと)
猿田彦命(さるたひこ の みこと)
八街比古命(やちまたひこ の みこと) – 八衢比古
八街比売命(やちまたひめ の みこと) – 八衢比賣
日本武尊命(やまとたける の みこと)
大鳥大神(おおとり の おおかみ)
応神天皇(おうじんてんのう)/八幡神[4]
兼務社 編集
津嶋神社 – 境内社。付近の津島神社とは別
尉殿神社
【ウェブの説明】
@撮影写真は雅く龍神様オンパレードなのですが、御祭神はこれまた凄い御柱オンパレードです神仏習合という事で田無不動尊(總持寺)もシャメしています