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『延喜式神名帳』に記載されている式内社「武蔵国多磨郡 小野神社」の論社の1つ。論社には他に府中市の小野神社がある。多摩川の氾濫にともない遷座を繰り返した結果2社になったとも、どちらかが本社でもう一方は分祠であるともいわれる。また、当社は武蔵国の一宮とされた。
社殿、鳥居、隋神門、賽銭箱、神輿などには菊花紋章(十六菊の紋章)が取り付けられている。後北条氏、太田道灌らの崇敬を受けて栄えた。江戸時代には一宮大明神と称され、江戸幕府より朱印地15石を寄進されている[3][1]。
祭神
主祭神は以下の8柱。
式内社「小野神社」の歴史
中世には近在に武蔵国府が存在し、武蔵国一宮であった。武州六大明神[注 1]の一つとされ、これらを祀る武蔵国総社の大國魂神社(六所宮)には「一宮」として祀られている。
「小野社」の名が初めて見られる史料として宝亀3年(772年)に作成された太政官符があげられ、「多磨郡□野社(多磨郡小野社を指すと思われる)」の記述がある[注 2][6]。
『日本三代実録』では元慶8年(884年)7月15日、従五位上から正五位上に昇格との記載がある。また、10世紀前半に成立した『延喜式神名帳』では小社として式内社に列している。
『吾妻鏡』の治承5年(1181年)4月の記事に『是以武藏國多西郡内吉富并一宮蓮光寺等』とあり「蓮光寺」(多摩市連光寺付近)と共に「一宮」(多摩市一ノ宮付近)の名が記述されており、「一宮」と「蓮光寺」を含めた形で「吉富」(京王線百草園駅 - 中河原駅の一帯)と記述している。
このほか、南北朝期の『神道集』には、小野神社が一宮として記載されている。
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〘瀬織津姫〙も鎮座しています