携帯電話替えてから入れなくなり、まぁいいか…と放置してました。

ガラケーからスマホに変わったら景色が違う…

慣れるかなぁ…

またよろしくお願いします🤗
真理と迷妄というような対象は実は無いように思う。

真理も迷妄もこの主体の内にある。

そして、主体の内に明らかに対象は存在する。対象…それは記憶や「私」という概念である。


それは、対峙した鏡の部屋のように道は何通りにも存在するかのように見える。無限である…


対象に重きを置いてしまえば無限地獄を生きるはめになる。

私というイメージを持っているなら、対象に重きを置いていることになる。



「私」が有るなら、対象と「私」が必ず存在する。


手を繋ごうが、肩を組もうが、抱擁しようが、相手の立場に立ってみようが、決意を持って相手を助けようが、私とあなたという二元性に在り続ける。


道具上の「私」、身体は有っても、「私」という信念は無いなら…何も起こらない。


内側の行為が何も起こらない。


肉体精神機構のあるがままが有り、希求も葛藤も無い。


つまらないことになる(笑)


でも、絶対平和です。



死である。


この死は、真の生である。



無限に道は有るのでは無く、一本の道が有るのでもなく、今ここが、全てであり、今以外無いのである。
既に悟っている人がいる

その人は「悟った」のではなく、「悟っている」のです

なので、悟っていることには当然 気づいてはいないし、「悟り」等には興味も無かったりする


まるで、「悟り」とは概念であるかと思わせる現象であります。