昭和生まれのチャレンジ日記 -40ページ目

マイクロソフトデザイナーで8歳の頃の自分を美化して作成、粘土の型抜きあそびも書いてみた

下町のガキだったのでこんな都会的な坊っちゃんではありませんでしたが想像なので大目に見てください。そもそも昔は写真といえば集合写真くらいで家族のポートレートなどはあまり残っていません。それも白黒なので記憶も白黒、小学校でも目立つ色は女子の赤いスカートくらいで白と黒の世界がほとんどです。

 小学校は歩いて5分くらい校門の前には駄菓子屋さん兼文房具屋さんがありよく通いました。文房具屋の横は空地になっていて紙芝居のおじさんが来たりちびまるこちゃんに出てくるようなインチキおじさんもよく来ていました。結構夢中になったのは「粘土の型抜き」いろいろな大きさの粘土の型が売っていて、平たい板に形がほってあり型採りしたあと金や銀の粉で彩色しておじさんに見せます。おじさんが独断と偏見で採点し合格すると一回り大きな型と交換してくれます。一番最初は最も安い小さな型と金や銀の粉、粘土を購入して遊びますが値段は全く覚えていません。一番大きな型はA4位の大きさだったと思いますが皆それを目指します。きれいに仕上げるのにはいろいろな粉を買わなければならず結局ここでも財力が物を言います。マッチ箱くらいの大きさの型からステップアップするのはなかなか大変であと少しで大きな型に変えられるというときにいつの間にかおじさんは来なくなります。どこ行っちゃんたんでしょうね?そしてほとぼりが冷めた頃いつの間にかやってきて新しい子を相手に商売をします。

こち亀に詳しい内容が載っていたと思うので気になる方はチェックしてみてください。

 

 

 

 

昔のお正月1956年頃7歳の自分を美化して作成(マイクロソフトデザイナー)

お正月を表現する画像をマイクロソフトデザイナーで作ろうとしましたがうまくいかないので断念、とにかく和風テイストの画像はこのソフトの最も苦手とする分野です。凧揚げ,羽根つき、コマ回し、百人一首、何一つまともにできません。

自画像はロシア人とのハーフ指定で作ればそこそこのものができます。美化し過ぎなとこもありますが結構楽しめます。

 

子供の頃は「あいのこ」と言われいじめられましたが自分は純日本人、今でも大体は外人ぽいと言われます。高校の頃のあだ名は「イタリアーノ」社会人になってもなぜか「マーク」と呼ばれました。

 お正月の思い出は初詣、あいさつ回り、お年玉と楽しいことがいっぱいでしたね、もうこの頃になると記憶がどんどん蘇り頭の中でまとまらずあっちへ行ったりこっちへ行ったりしますが大目に見てください。

元祖テレビっ子を自称する私がこの頃見ていたのは、「チロリン村とくるみの木」「お笑い三人組」「シャボン玉ホリデー」今まで紙芝居で満足していた子どもはテレビに釘付けになりました。

ちなみにマイクロソフトデザイナーにシャボン玉ホリデーを作ってもらったら、とってもファンシーな画像ができました。

 

1954年頃?ゴジラの映画を見ました

何年頃か忘れましたが低学年のとき「ゴジラ」を見ました。映画館は超満員で実際には脇の通路は立ち見の観客でいっぱい、とっても怖い映画でした。

マイクロソフトデザイナーで作るとこんな感じになりました。一方テレビの方は「日真名氏とびだす」「私の秘密」も記憶にあるので6,7歳の頃には我が家にも白黒テレビが来たと思います。特によく見たのは「スーパーマン」クラーク・ケントが電話ボックスでスーパーマンに変身します。「デイリー・プラネット」の美人記者「ロイス・レーンも」素敵でした。オープニングはとても印象的、。「タマよりも速く、力は機関車よりも強く、高いビルディングもひとっ飛び!」、「鳥だ!飛行機だ!いや、スーパーマンだ!」そうですスーパ^マンです。「(スーパーマンは)正義と真実を守るため、日夜闘い続けているのです」毎週夢中で見たものです。