久しぶりにプラネタリウムを観て、気がついたことがいくつかあったのでそのひとつでも。
あったかどうかは定かじゃないけど、星に手を伸ばした幼い頃から時が経って大きくなって今になったけど、未だに星には手が届かず。
良い悪いとか、楽しい悲しいって感じじゃなくて、そういうもんなんだな、ってストンと受け容れてる自分もいたりした。強いて言うなら悔しいとか嬉しいとかそういう気持ちはあるけれども。
きっと星をつまめるくらいもっと大きくなったら、山派か海派かと聞かれたら山派と答える私はなんて答えるようになるんだろうか。
もしそうなったとしたら、天地が逆転して新しい「星が散らばる夜空」が出来上がるだけなので、まぁそこまで不都合もないのだろうな。
過去何千年に建立された大仏とかって、ある種のタイムマシンですね。中身に人が乗ってないのが欠点。おそらく我々の器も、ガラケーやらサクラダファミリアやらに乗っかって、未来にいくのだろうか。それが、死後の世界を通して我々は下界を見る、とかそういうことなのかな。
その時になって初めてこんぺいとうをつまめてそうだな。
あったかどうかは定かじゃないけど、星に手を伸ばした幼い頃から時が経って大きくなって今になったけど、未だに星には手が届かず。
良い悪いとか、楽しい悲しいって感じじゃなくて、そういうもんなんだな、ってストンと受け容れてる自分もいたりした。強いて言うなら悔しいとか嬉しいとかそういう気持ちはあるけれども。
きっと星をつまめるくらいもっと大きくなったら、山派か海派かと聞かれたら山派と答える私はなんて答えるようになるんだろうか。
もしそうなったとしたら、天地が逆転して新しい「星が散らばる夜空」が出来上がるだけなので、まぁそこまで不都合もないのだろうな。
過去何千年に建立された大仏とかって、ある種のタイムマシンですね。中身に人が乗ってないのが欠点。おそらく我々の器も、ガラケーやらサクラダファミリアやらに乗っかって、未来にいくのだろうか。それが、死後の世界を通して我々は下界を見る、とかそういうことなのかな。
その時になって初めてこんぺいとうをつまめてそうだな。