まさか、のま・さ・か。公にしていないのに、分かるはずないって思っていても分かってしまうんだよ。分かりたくて分かったわけではなくて突然分かってしまう。それが勘の不思議なところ。
輪廻は聖性を獲得するまで延々と続く。逃げることができない。たとえ自ら終らせてもまた始まる。自我は分解されて再構築される。我浄に到達するまで延々と続く(たぶん)
心に繋がりが生じるとき、それが近づいてくるのが見える。ただ人によって過度の期待とか理想を秘めていることがあるので思わず拒絶してしまう。そうしたとき相手は疑心暗鬼になり対象を疑う。
させられ体験っていうのは精神病を発症したときに経験している。したくもないのに、気づいたらしている。やりたくない、そう思っているのに必死の抵抗も空しく虚ろになりながらやってしまっている。考えたくもないのに、その人が頭の中でグルグルグルグル・・・・暗黒の渦中に巻き込まれて行く・・・。これは精神病のときのことだけどね。
誘惑が生じると分かる。その人と思しき心の声が聞こえて来て性的感情が、やってくるので(なにもしてないのに)もうそういうのには負けたりしないけど(夜中の2時半から3時半の間にも同様のことが起きる。心の声は聞こえない)これが来ると胸から心の糧がなくなってヘロヘロになる。苦しい・・・。気持ち悪い。
たとえ欲求があってもそれを現実に行動に移して貪る行動に出るか否かで、人の在り方が大きく分かれると思う。
