繊細さとストレスについて独り言 | 『群青』

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こんにちは。

あめみやです。





今日はメンタルについて、ふと思うことを書いてみます。

※苦手な方はスルーしてくださいね。




よく


「私って雑だしあまり深く考えてなくて脳天気だから雑草のようでしょ」


とケラケラっと軽やかに言われる方っておられますよね。


雑草のように強くてめげなくて気にしない性格、ということかと思います。

実際にストレス耐性は強いのかなと見受けられます。



そして、真逆に、繊細で些細な言動や出来事に深く反応して考えしまったり、ネガティブな出来事が強く心にこびりついて振り払うことができない方もおられます。



後者の方は前者の


「私って深く気にしないから雑草のよう」


という発言すらも 


「私ならそんなことは気にしないのに。雑草くらいの強さがないとやっていけないわよ。くだぐだ考えすぎなのよ。自分からストレス抱え込んでたら病むわ」


という熾烈な言葉にすら聞こえるかもしれません。




もちろん、どちらがより良いのか、という問題ではないと私個人は思います。



前者の方は他者への寄り添いや共感力、或いは細やかな配慮などをする力をもう少し身につけたらどうか?と指摘することもできますし、後者の方は鈍感力を鍛えましょう、他者の動向や言動に振り回されないよう軸に自分を据えていきましょう、と指摘することができます。



どちらにも素敵な面があり、どちらにももう少し考え直してみよう、という面がありますから結局は両者共に良し悪しで判断するものではないということです。




敢えて言うならどちらも良いので、自身にとっての少し足りていない部分を付け足してより楽に生きられるようにしてみたらどうか?という話ですね。


当然のことですけども。




今の人生は一度だけですし自分を中心に生きなければ誰があなたの人生を生きられるでしょうか。


不安や悩みで心に処方箋を出さなければならなくなる生活より、より笑いが多くリラックスして楽しい人生のが楽なはずです。キューン



それでも人間ですから、時に頑張りすぎたりコントロールを失って脳や心の処方が必要なことはあります。


一度メンタル疾患になると寛解はするけど完治しない、という言葉もよく聞きますので診断を受ければ更に不安になって自己否定してしまうかもしれませんよね…。




けれど、果たして寛解ではいけないのでしょうか?



いわゆる風邪は何回も繰り返しかかります。病気によっては良くなったり悪くなったりを繰り返して、薬と共に一生付き合うものもあります。


脳や心の病もそれらと同じと考えれば寛解は普通にとても嬉しいことだと私は考えます。




完璧にどこもかしこも傷一つ、病一つないという人間は、特に加齢と共にほぼいなくなるのではないでしょうか。(細胞は必ず老化しますから)



そもそも人はそうやって、細胞の老化やバグを抱えて生きるもののような気が…個人的にはしています。


それは人以外の生き物も同じかもしれません。




ただ自ら病にかかる必要は全くないので繊細で心にかかる負荷がそうでない人より多いと思うのであれば、繊細さと共に鈍感さも磨くトレーニングをすれば良いかとは思います。



力不足で重いものが持てない人が筋トレして強化するか、と考えるのと同じ感じです。



真面目で繊細で優しく、自分に厳しく、なのに自分に自信が持てない人は鈍感さなんて一生身につくわけがないと思いがちですが、まずはそんな自分も別に悪くはないという許しを自身にきちんと与えてあげ、同時に細やかに配慮できない人のこともそれでよいのだ、自分と性質が間逆なだけでどちらもありなのだ、と許容していくようにできたらちょっと良いですよね。





結局のところ、ストレスは心だけでなく内臓にも様々な影響を与え、治療がしんどいという新たなストレスをも連れてきてしまいます。


ストレス耐性が強ければ臓器や脳を守ることができ、つまり、自分で自分を守ることができます。


ストレス耐性が弱い人はそれが自己否定するようなことや、悪いことなのではなく個人の体質や性質と捉え、耐性を強める工夫をしてみたら良いのではないかと思うのです。


性質としては素晴らしい人間性の方ですしね(優しい、細やか、寄り添いや労りの心を持つ、真面目な努力家)。




ストレス耐性が弱くて病気になった自分は


【情けない人間だ!】

【弱くて生きてる意味などない!】


という認識は捨て、優しくて細やかなひととなりの人を病にまで追い込んだ周囲の環境にも当然問題があるびっくりマークことを知り、同時に自分も自身を守るための工夫をして生きてゆく必要があるということかなと思っています。



誰だって大人になれば自分のことは自分で守らなきゃならないですから。



と、こんなことを呟いていると


【雨宮は鈍感な強いおばちゃんなんでしょ】


と思われるかもしれないのですが、私は過去に適応障害、複数回の鬱病、カサンドラ症候群、パニック障害、き死念慮に囚われる、リスカ等経験してきています。不安ガーンアチャー



都度もう生きる意味なしという自己否定で闇落ちしてきましたし、今もそれらと手を繋いだまま生きています。



私は強くはありません。

病も繰り返しています。


本音を言えば前者の雑草系の方はどちらかというと苦手なんです、ごめんなさい。ガーン



でも決して嫌いではありません!



苦手なのは自分がそうできないのに繊細に反応してしまうから…、そんな自分が嫌いだからです。



そして歳を取りましたので細胞の劣化と共に期せずして鈍感になってきた部分があるように思います。


もしかしたら老化は、繊細さで苦しむ人を少し救うものかもしれませんね(笑)。




今若くして繊細で苦しい方は、一つの案として、長く生きてみることを提案してみたいと思います。



なぜ急にこんな話を今日は書いているのかというとですね…、


今私の周りで10代の若者から、医療介護職にいる働き盛りの若者層等が心を病んでいるケースが増えていることがあげられるからです。


私自身もですが。




ひとつにはコロナ禍がもたらした歪もあるはずです。


社会の大きな変容、環境の変化は気付かずに人の心に強いストレスを与えてしまいます。 


そしてコロナ禍によって当たり前に過ごせるはずだった、当たり前に進めるはずだった人生のレールが途中で切れてしまったり落ちてしまったりしました。



平素から日本社会はストレス過多とも言われてますので心が疲れ切ってしまう人が増えるのは当たり前だとも思うのです。



今心が苦しくて病院や内服を始めた方に、私が個人的に伝えたいのは「それで良い」ということです。




受診を検討して実行し、少しでも自分のライフポイントを自分で守ろうと動いたことは自立した行為です。


あなたはとても常識的で社会性もあり、自分を守ろうと動けたということです。



お疲れ様です。スター



休息しながらゆっくりと、行きつ戻りつしつつのんびりと、自分の良さをひとつきに1個でも良いので探しながら、明日の心配ではなく、今日を無事に過ごしていきましょうね。




本日は偉そうに、大変ごめんなさい。  




※⚠私は医師ではありません※