コップの中に
存在感ある大きさの氷がある
だけど
その氷に
目を向ける人もいれば
その周りの飲料水にしか
目を向けない人もいる
おいしい氷だったら
飲料水をおいしくする
おいしくない氷だったら
飲料水を少しまずくする
だけど
氷に目を向けてない人には
この氷の影響は認識していないから
コレは飲料水の味なのだと感じる
存在感があって見えていても
認識していなかったら
氷の影響は見えない
この世は認識でできているけど
その人の認識が狭い視野での認識の時は
見えない影響力が理解できないから
部分的な解釈で納得してしまう
世の中を正しく理解できずに
納得してしまうんだと思う
わかった気になって
でも
いつでも戻ってこれる
視野が狭い時はいつなのか
なんとなく分かっている
自分のことは自分でやらなきゃと
思いやすいけど
人の循環に巻き込まれて
うまいこと循環にのってさ
自分のことだからこそ、人に頼っちゃえばいい
自分が元気な時に循環をつくって
元気のない相手を巻き込んであげればいい
健康って
そういうものなんじゃないかな
人と人がお互い点検しあって
循環しあって元気って保たれるんじゃないかな
というか
それを正解にする循環を
巻き起こしたいよね