1年半ぶりにアメブロにやってきた。笑

 

世の中、コロナでTVも「PCR検査がなぜ進まないのか」「パチンコ屋は何故言うこと聞かないのか」「他国の出口戦略は」

と、コロナ一色である。

小さな当社、一般のお客様を相手にする商売で、またお客様にお年を召した方が多いため、緊急事態宣言を待たずにクローズ。

5月14日現在も閉めている。

そもそも創業した義父は、「何があるかわからない。でも、社員さんの生活は最後まで守らなければいけない。何があっても、たとえ5年くらい日銭が入ってこなくても耐えられるよう日頃から準備しておくように」と、常々言っていて、擦り切れた財布を大事に使っていた。

義父が亡くなってから、東日本大震災が来て、今回このコロナである。

5年は耐えられないと思うが(苦笑)、お義父さん、おかげさまで、何とかなっています。

 

コロナは残念なことが多い。

今週は、本当なら3番団子の結婚披露宴が行われるはずだった。やむなく延期に。

でも、すでに一緒にくらしていて幸せそうである。

先月 私は、近年まれにみる月間最高距離を走った。

良いこと、一つ一つ探して紡いでいこう。

昨年末に義母が亡くなり、お正月も寂しさを感じていたのだが、2日に義母の姉が亡くなったと連絡がはいった。

義母の葬式の時に、今にも倒れそうな伯母であったが、まさか葬式の日にお目にかかったのが最後になるとは思ってもいなかった。

バタバタとお式に参列。伯母は安らかに眠っていた。

 

そこから2週間後、義母の四十九日の法要を執り行い、落ち着いた2月、次男が結納。

喪中であったので、このまま事を進めるか迷ったが、、結婚式は前々から決まっており、義母も楽しみにしてくれていた上、

実家の父母も高齢になってきており、1年後に確実にできる保証もない。

あの時だったら結婚式にでれたのに・・・・ということにもなりかねないので、そのまま挙式するはこびとなった。

 

4月初めに、長男のところに女の子が誕生。

私たちにとっては初孫となる。義母もひ孫の誕生を楽しみにしていたのだが。

下旬に年に二度の催事を終え、5月にお宮参りに。

5月は決算末でもあり、数字が要求される月。(疲)

6月半ばに、次男が結婚式をあげ、かわいいお嫁さんがまた一人増えた。

 

なかなかに目まぐるしい上半期であったが、

7月は新盆。

あしたは、白いちょうちんをお寺に取りに行きましょう。

 

 

たしか、大昔、一番団子が幼稚園に通っていたころ、私は子供たちに

【ママ】

と、呼ばれていた。

ママ、まま~~と、呼ばれていたんだ、うん。

 

ところが、一番団子は小学生になったとたん、

【お母さん】

と、言い始めた。察するに【ママ】と呼んでいたら、

「おまえ、まだ【ママ】っていってるの??はずかしいだろ~~」

とでも言われたのであろう。

すると、右に倣えとばかりに、2番団子も3番団子も、【ママ】を卒業し全員が

【お母さん】というようになった。

 

で、今は、というと

一番団子は、名前に、さん付け

私が「たえこ」なら「たえこさん」 「まさこ」なら「まさこさん」 「あいこ」なら「あいこさん」

 

2番団子と三番団子は、名前を略してちゃん付け

私が「たえこ」なら「たこちゃん」 「まさこ」なら「まこちゃん」 「あいこ」なら「あこちゃん」

 

ちなみに、子供たちは旦那と話すときは、日常会話も敬語だったりする。

「お父さん、昨日は、どこかに出かけていたのですか?」

 

まあ、「お出かけになられていたのですか?」とまではいかないが。

でも、これが私になると

「〇〇ちゃん、どっか行ってたん?」

 

・・・・・・ぜったいに、尊敬されておらん!!わたし。( 一一)

 

 

12月某日、その日が、そんな一日だったと誰も思っていなかった。

 

現役の義母は、午前中の仕事を終えて、普通にお昼ご飯に入って、その場で倒れて、ほとんど一瞬で亡くなってしまった。

倒れる数秒前まで元気でいて、次の瞬間に義父の元に旅立ってしまったのである。81歳であった。

 

常日頃から、ぴんぴんコロリで逝きたいけど、あなたにお世話になっちゃうんだろうから、その時はよろしくお願いね

と、言っていたが、介護どころか入院もせず、である。

そのあとは、あっという間だったのか、長かったのかよくわからない、不思議な時間が三か月続いている。

ただ、確実に言えることは、義母の背負っていたものが大きくて、毎日がとても疲れるということだ。

 

仕事も付き合いも、義母の隣で見てきていたとはいえ、自分が全部というのは、かなりの負担である。

おかげで、亡くなってから2か月、ほとんどランニングに出れなかった。

 

東京マラソンに応募していたので、三番団子と一緒に参加。

いつもなら、マラソン大会の当日、朝早くに

「頑張ってね。応援してますよ。」と、必ずメールをくれた義母。

今回は、無い。

だから完走して二人で撮った写真を義母のラインに送った。

 

義母が亡くなって、今まで考えたこともなかった自分の残りの人生を考えた。

わたし、あと、何年残っているのだろう。

女性の寿命は87歳くらいといわれているが、健康寿命は73くらいだった気がする。

えっと、引き算すると・・・年!わりと、ゴールは近いのかもしれない。

 

いやいや、私はやり残していることが、たくさんある。

大学に行って、フランス語を勉強したい。 なんなら、海外留学もしたい。

学部的に社会人入学ができないから、一般受験しないとならず、まずは受験勉強に3年くらいかかりそうである。

ランニングも、もっとタイムをあげないと、出れない大会が・・・

 

義母が亡くなって、仕事は大変になるわ、あと1か月で孫は生まれるわ、次男の結婚式も控えているわ、

来週は、とりあえずお彼岸だし・・・焼香にお見えになる方々をお迎えせねば・・・

 

まあ、忙しい時のほうが、有意義に時間を使えるってもんだ。

新しいことを始めると、必ず応援してくれた義母。

天国で、どうぞどうぞ、みんなを見守っていてください。

 

東京マラソンから約9か月

今年の秋は、さいたま国際マラソンに出場した。

忙しさから、走り込みが足りていない状況で、且つアップダウンのかなりキツいコースときている。

ベストを狙うには無謀であったが、ランニングクラブの若き先生の励ましもあり無事完走。

メダルを頂き、神棚に供えた。(笑)

 

前半のアップダウンが脚にきて、20キロ過ぎから、歩く走る歩く走る・・・と情けない状況であったが、

今回、今までになく、終わった後の故障がなかった。いつも、終わると膝や足の甲に痛みが出て

半月以上は足を引きずっていたが、今回は筋肉痛のみ。

先生に言われた筋トレを地道にやっていた成果なのだろう。

やっぱり、地道、これが大切だ。

 

次戦は来年の東京マラソン。練習を積んで、今度こそ、ナイスランしたい。

 

しかし、・・・・・・川内優輝選手は素晴らしい。

レースに一般参加して2時間15分で走った後、ゴールで他の市民ランナーの応援や写真撮影。

ずっと笑顔で応じてくれていた。延々自分がゴールしてから4時間じゃきかない、5時間近いのではないだろうか。

さいたまは地元なのだから当然でしょという人がいたが、いやいや、当然なんてものはこの世にない。

 

今までも応援していたけれど、今度レースに出ている川内選手を見たら、TVの前で大声で応援するだろうな。

川内さん、ありがと=====

まるで、手品をみているような気分であった。

 

昨日、三番団子から夜中12時過ぎに帰ってくると連絡があったので、私は早々と寝てしまったのである。

なんとなく、寝苦しくて、2時過ぎに目が覚め、カーテンの隙間から車庫を眺めた。帰ってきたのかしら・・・と。

 

ん??

 

車の色が違うんですけど。なんなら、一回り大きくなった気が・・

目をこすって、再度見るが、青かった車が真っ白に。

 

車をぶつけて代車?

 

朝、6時前、起きてきた息子を捕まえて、状況を確認すると、

「買い替えた」

 

はぁ??ちょっとまってよ。

その前の日、私を青い車で、マラソン大会の会場まで送り迎えしてくれたよね?その時、何気に

「どう?この車は。だいぶ慣れてきた?」

と、ききましたよね?

「そうだね」

と、運転しながら答えましたよね。

 

そんでもって、翌日車の色が変わっちゃうんですか?

 

あまりの相談なしに、朝から、雷落としました。

 

まあ、昔から、テストも見せない、成績表も見せない子でしたが。

 

お願いです。こういう子供を持つ親が愚痴るサイトがありましたらご教授ください。<m(__)m>

どうしても我慢ができなくなり、結局DAZN(ダ・ゾーン)を申し込んだ。

ジロはすでに三日目になっていた。

クイックステップのエシャロン攻撃を観戦。

まさにチーム力の勝利。

う~~ん。。。。。いい!!

 

しかし、Jスポーツの実況解説に慣れているせいか、いまいちしっこりこない。

サッシャ栗村コンビでジロ観戦したーーーーい!

 

お正月は、元旦にニューイヤー駅伝を見て、二日、三日は箱根駅伝。なんなら録画しておいて、何度も何度も観てしまう。

 

世の中ゴールデンウィークではあるが、毎年、仕事で終わってしまっていた私・・・・・・

でも、今年は違います。

箱根駅伝を走ってみましょう。一日一区!

という企画に応募して、本日第一区を完走してきました。(^_-)

 

大手町の読売新聞社前から鶴見中継所までの約21キロ。

お~~ここかぁ~~と感動しながら走れました。

 

来年のテレビ中継は正座をしてみてしまうかも。(笑)

 

 

そ、そんなことが起きてよいのか!

まあ、気が付かなかった私もだいぶトンマだが。

 

ミラノ~サンレモ、

ヘント~ウェヴェルヘム

ツール・デ・フランドル、

アムステルゴールドレース

リエージュ~バストーニュ~リエージュ、

イル・ロンバルディア

 

昨年、録画して何度も何度も観たこれらのレースも、ごっそり放映されないのだ。

Jスポーツさん!勘弁してください!

私としては、料金半額にしても良いくらいのサービスダウン。

 

で、見たいと思ったら、DAZN(ダ・ゾーン)と、契約する必要が。

DAZNとは、イギリスの動画配信大手パフォームグループが配信しているスポーツ動画配信サイト。

でも、これって、TVで録画できます?できないんちゃいます?

LIVEでって、時間的に絶対に無理でしょう。

自分の時間で、自分のペースで観たいんです。

 

いやぁ~~ショックが大きい・・・・

NHKは世界選手権、一昨年は放映したのに、昨年は放映しないし。

 

イタリア語で見るか・・・ジロ・・・はぁ。。(ため息深い)

冬の日曜の楽しみはマラソン中継。

 

琵琶湖毎日マラソンは、フルを2時間半で走れないと出れない大会。

普通の人は、なかなか否、殆ど参加できないエリート大会である。

そして世界選手権の代表選考大会でもあった。

 

今回は、青山の一色選手もエントリー。

駅伝で活躍しているし、将来を嘱望されているランナーの一人だから

注目度も高かった。

 

5キロ 彼は最初の給水が取れなかった。

次の給水、今度はちゃんと取れて、ドリンクを口に含むのだが、容器を捨てる前に周りの選手を一通り見たのだ。そして、給水に失敗してして、飲み物がほしいと思っている選手がいないと確信してから容器を捨てた。

その次の給水の時もそうだったと思う。

 

競争なんだから、甘いと言われればそれまでだが、私は、こういった一色選手のスタンスがとても好きである。クローズアップ現代で、青山を特集していたときも、ほかの選手の心配をしながら走っていた。

今回は残念ながら、途中棄権になってしまったが、本当に頑張ってほしいと思う選手の一人である。

 

村澤選手のつっこんで走った姿にも共感。

ラスト、ジョギングのようなスピードだったかもしれないが、最初だもん、あれでいいじゃない。

 

そう考えると、東京マラソンの設楽選手は、前半、あれだけハイスピードで飛ばして、よく日本人3位に入ったものだ。後半、思ったほど落ちなくて粘ってまとめたということになる。あらためて、あれは凄かったかもしれない!と思い直した。

 

平坦で気象条件が良かった割にタイムが出なかったと、陸連の方々はおかんむりだったけど、9時から始まるレースと違って12時からの大会で意外と暑かったし、湖、海の近くは何気に風も吹くのでしんどかったんじゃないかなあ。

 

観ていて、選手が苦しそうな顔になると、こっちも苦しくなってきた。

私など彼らの倍以上の時間でちんたら走っても苦しいのだから、あのスピードで走ったら・・・

 

どうぞ、みなさん、次回、持てる力を発揮できますように!