今日は前回化学流産が始まってから39日目。
そろそろ「D39」というような表記が正しいのかわからなくなってきました。
無事に妊娠しているとしたら5w3d(2ヶ月)の計算になります。
産婦人科へは来週行くのでその時までは感情を無にして過ごします。
何があってもショック受けないように予防線。。
でもどうしてもちゃんと妊娠できてるんじゃないかって期待しはじめてきた。
というのも、昨日あたりからなんとなくつわりの兆候が出てきた気がするのです。
兆候というのは、まず、なんか苦手だなと思う匂いに遭遇し始めた。
しかもいつも過ごしている家の中で。
あと、なんともいえない喉のあたりの違和感も感じ始めた。
何かを食べると治まるあの独特の違和感。
そして、普段は食べない特定の食べ物が頭の中に浮かび始めた。
(例えば、グラノーラが好きなのに、普段食べないプレーンのコーンフレークを食べるイメージばかり浮かぶとか。)
思い返せば第一子の時はなかなかしんどいつわりでした。
それもあって第一子の妊娠については何の記録も取れてなかったんですが。
今更ながら何が辛かったかを思い出しながら書き出してみました。
無駄にランキング形式にしてみます。
1位 におい悪阻
これはまじで辛い。
それまで普通に使っていた香水や洗剤やシャンプー、お風呂の匂い等がダメになる。
服は染み付いた洗剤の匂いが取れなくて着られなくなったり、
家族と住んでいたので全てをコントロールするわけにもいかないのも辛かった。
どうしてもダメなものはお願いして使用禁止にしたり、お風呂の順番を変えてもらったり、部屋干しするのを即やめてもらったり。
家族との仲が悪くなるレベルで辛かった。出産するまで治らなかったのも地味に地獄だった。
この経験から、私は今でも匂いのあるものが苦手です。
知らぬうちに他人に迷惑かけてるかもしれないなと思うようになったのもありますが、単純にあの悪阻の記憶を思い出す。
あと特定のメーカーの洗剤は絶対に買えなくなりました
2位 吐き悪阻
これも辛い。ルナルナベビー様が言うには「10週くらいでつわりから解放の兆し
」とあったから
「とにかくそれまでの辛抱だ!!がんばろう!!」と自分を励ましていたけど
まじで、全然、大嘘だった
私は20週くらいまで普通に吐いてました。
もはや、今までの生活で吐いていなかったことが不思議だと思えるくらいナチュラルに吐いていました。
担当医に相談したら「僕の妻は22週まで吐いてました。悪阻はどうしようもないです」と言われて絶望した。
どうしても電車に乗らなきゃいけない時は、耐えて耐えて、降りた駅で即トイレに駆け込んで吐く、みたいな日々だった。
におい悪阻がきつかったのもあり、とにかく吐いていた。
3位 食べ悪阻
吐き悪阻なのに食べ悪阻を併発しているという未経験者からは理解されにくい状況だった。
とにかく食べて食べて吐いて食べていた。
(そのため誰からも心配されていない妊婦だった。
)
そして執着する食べ物は日々変化していた。
普段は特別大好物というわけでもないものに固執しまくっていた。
やっかいなのが、例えば、一週間ほど「三ツ矢サイダーしか飲めない!」となっていたのに、
ある日突然「三ツ矢サイダーまじ無理!!今はマンゴージュースしか飲めない!」というような、
自分でもびっくりな急変を脈絡なく何度もコロコロと遂げること。
これにより、「私がこれしか食べられないと言ったもの」を先回りして沢山用意してくれていた家族は
大変振り回されていた。
因みに、出産前までに体重は20kg増え、さすがに病院に怒られた。
(吐き悪阻を凌駕するほどの勢いで食べていた。)
4位 とにかく暑い
妊娠してすぐに「温活グッズ」を買い込んだが大間違いであった。
結果的に真冬でも半袖で過ごしていた。
ヒートテックなんてもってのほか。セーターもお蔵入り。
タートルネックのような首に何かがあるものが耐えられない。
マタニティレギンスなんてものは一度も使わず。腹帯も熱すぎて未使用。
なんなら24時間冷えピタを張って過ごす。
こんな妊婦見たことがないと母に言われる。
・・・
「来世は絶対に男になってやる

」
「こんなに辛いなら二人目なんか無理だ

」とキレちらかしながら泣いていた悪阻生活を思いだすと
今回も超超超心配ではあるのですが、
つわりの辛さは毎回全然違う
という皆の経験談を希望に
乗り越えたいと思います。
(どうか重い方向にだけは変化しないでくれという切実な願い)
(その前に無事妊娠継続してくれという38歳切実な願い)