何故人は引きこもるのでしょうか。それに関しては様々な要因があるし、いろいろな人がいろいろなことを言っていますが、簡単に言うならば「期待に沿えないから」に他ならない。その“期待”とは、企業などのノルマであったり、学校での成績であったり、親や世間から示された人生目標だったりもします。
とにかく世の中は【排除型社会】です。少しでも人生のレールをふみ外してしまうとそこから復帰するのはとても難しいし、その「踏み外してしまう」のハードルもどんどん高くなるばかり。極端な例だと、「30才でコピー機の使い方が分からない」という、どうでもいいような些細なレベルでも落伍者の烙印を押されてしまうのです
このことに関しては、【「自殺社会」から「生き心地の良い社会へ」】〔清水康之・上田紀行共著〕の、「「排除」と「公開処刑」によって、このような人間になってはいけないという恐怖と優越感を潤滑油にする事でしか、日本は経済をドライブできなくなった」という説を支持するはずです。
なので、引きこもり、またはホームレスや自殺者を差別する風潮を、とりあえずマスメディアや企業が改める、ということはこの先もないだろうと思います。
人種差別から被差別部落問題に始まり、「偏見と差別」の問題は非常に難しいです。いや、難しいというよりは「偏見や差別をいかに理性と知性によって克服するか」が、人類にとって最大の問題なのだ、と言ってもいいのです。人類の歴史は戦争の歴史だと言われているが、ほとんどの戦争や暴力は、偏見と差別こそ原因であり、そして人類誕生から今に至るまで、偏見と差別は未だに克服されていないからです。
漠然とした予想だけれど、偏見や差別を克服するのは、よく言われる「気付き」の力ではないのだと思います。いや、細かく言えばそれだけでは足りないのです。
例を出すと、3人集まってやっと1人分の仕事が出来る、というような人がいたとして、なら3人雇って1人分の仕事をしてもらおう、という社会的合意のようなものが必要なのではないかと考えます。
しかし漠然としたモノなので、理論的な確証があるわけではないのですが・・・。