1日早朝、冷えたな・・・と思ってトイレに。
済んだと同時に顔面から血の気が引いていくのがわかった。
やばい・・・。と思ってとにかくベッドに戻るが、尋常ではないと感じ、もしかしたら子宮外妊娠で破裂したのではないかと怖くなった。
運悪く、携帯を彼の家に忘れていて連絡取れる手段がない。
必死で隣の家のインターホンを鳴らす。両隣は出てくれなかった。
3階にある家で、下まで降りて助けを呼ぶしかないか・・・。でも下まで辿りつけるか自信もない。
最後の綱と2個隣の部屋のインターホンを鳴らす。ノックもする。
お願い、出てー・・・と祈る気持ちだった。
パジャマ姿で出てきてくれた。
救急車を呼んでください。妊娠していて・・・。
くらいしか言えなかった。
救急車が来るまで、とにかく痛い痛いと叫んでいた。
もうそれしかなくて、でも彼に連絡しなければと、お隣さんに電話番号を伝えた。
それも声に出すのが辛くて、手で現したり、とにかく必死だった。
救急隊員が来た。
もう助けてもらえると思った。でも状況を把握するまで彼らも動けないらしい。
いろいろ聞いてくる。
名前、生年月日、流産の経験、何週目。
答えるのに必死。
でも隊員の一人、きっと若かった。がすごく親身になって励ましてくれた。
私は怖くて、誰かに励ましていて欲しかったからすごくほっとした。
彼にそばにいて欲しかった。
だから、その救急隊員を彼のように思った。
病院につく頃にはお腹の痛みも引いていた。
騒いでいた自分が恥ずかしくなった。
落ち着いたところで先生が検診してくれた。
内診もあり、やはり超音波でみても胎のうが確認されなかった。
もしかしたら子宮外妊娠の可能性もあると。
左側が痛いんだと伝えたら、そう思えるところもあると。
でも、はっきりしたことは言えないから、一日検査入院することに。
かなりの貧血であったため点滴をうつ。
初めての点滴。痛かった。
入院というのも初めてのことでなにもかもがはじめて。
コンタクトもめがねもなくてほとんど見えない。
彼からの連絡は昼にやっと。
5時上がりでこっちに向かってくれると。
少しほっとした。
彼は前日にパソコンのメールで子供が駄目でも結婚しようと言ってくれていた。
去年はそんな話にもならなかったから、また逃げられたらと怖かった。
私からは逃げなったけれど、何か彼は責任から逃げていたと思う。
それは私の弱さも原因だったと思うが。
一番端の病室に案内された。
とにかく寝ていた。
よく眠れた。疲れていたんじゃないのと、先生が。
わからない。そんなつもりもなく過ごしていた。
だんだん周りが見えてきて、自分の部屋は休養室となっていた。
そのほかはどうやら妊婦さん、なんらかの不自由があるらしい人が個室で泊まっていた。
お腹が大きい人ばかり。
自分は泊まるべき人ではないのではと思った。
赤ちゃんんの声が聞こえる。
去年の私ならばそれが辛くて耐えられなかっただろう。
今回は違う。
今回は、どこかであかちゃんは育っていないと感じていたから、自分がもう赤ちゃんを産めない体なのではないかという不安の方が大きかった。
この先、彼との家族が増やせない、彼の父親ぶりを見られない、自分の母親姿が夢になるという不安。
テレビもない部屋で寝るしかない時間を過ごしていると、いろいろ考える。
仕事のこと、彼とのこと。実家のこと。自分の体のこと。
もう退院したらすぐ彼のところで一緒に暮らすつもりだった。
もう一人で耐えられない。
家で一人でいたくない。
でも会社の人が心配メールを送ってくる。
母親のつもりで接してくれる人。その人を裏切るようで仕事をすぐにやめることもできなさそう。
やはり考えがまとまらない。
それに明日の検査でもしまだ子宮外妊娠の可能性が消えなければ手術になるかもしれない。
そのときは実家に連絡しよう。
彼とじっくり話せていない。
遠くから車で来てくれて、疲れている。
私よりも疲れて見える。
私たちはどうすればいいのかな。