小林正観さんの 人はみな 自分の書いたシナリオ通りの
人生を送っているっていうメッセージを裏付ける
興味深い実験 ベンジャミン・リベットの実験について
ジェミニ(AI)に質問してみました(^^♪
以下 ジェミニと僕との対話です
ながーい ブログなので暇なとき見てね(^_-)-☆
★ベンジャミン・リベットの実験とは?
ベンジャミン・リベットの実験は、人間の「自由意志」の存在に疑問を投げかけた神経科学の古典的な実験です。彼は、人が意識的に行動を決定する前に、すでに脳が無意識のうちに活動を開始していることを示しました。
実験の概要
実験は以下の3つの要素の時間を計測することで行われました。
脳活動の開始: 被験者の頭に脳波計(EEG)を取り付け、自発的な行動(手首を曲げるなど)の準備段階で現れる**準備電位(Readiness Potential: RP)**と呼ばれる脳活動を測定しました。
意識的な意図の発生: 被験者には、特別な時計を見てもらい、手首を「曲げよう」と意識した瞬間の時計の針の位置を覚えておくように指示しました。
実際の行動: 腕に筋電図(EMG)を取り付け、手首の筋肉が実際に動き始めた時間を測定しました。
実験結果
リベットは、これらの時間計測の結果、以下の順序で事象が起こることを発見しました。
準備電位の発生(約-550ms)
意識的な意図の発生(約-200ms)
実際の行動の開始(0ms)
この結果は、人が「行動しよう」と意識的に決める約350ミリ秒も前に、脳がすでに行動の準備を始めていることを示していました。つまり、私たちの行動は、意識的な意志によって引き起こされるのではなく、無意識的な脳の活動に先行して決定されている可能性があると解釈されました。
倫理的・哲学的示唆
この実験結果は、「私たちは自分の意志で行動を自由に選択している」という常識的な考えを揺るがし、決定論(すべての出来事は先行する原因によって決定されているという考え)と自由意志の間の長年の議論に火をつけました。
しかし、リベット自身は、この結果が自由意志の完全な否定にはならないと主張しました。彼は、意識には行動を中止(拒否)する能力があると考えました。たとえ行動の準備が脳で始まっていても、それを実行するかどうかを最終的に決めるのは意識であるという「自由な拒否権(Free Won't)」の概念を提唱しました。この「自由な拒否権」が、私たちの道徳的責任や倫理的な判断の根拠となる可能性を示唆しています。
★実験の結果 どのようなことがわかりましたか? 例題を挙げて幼稚園児でもわかるように説明してください
ベンジャミン・リベットの実験は、私たちが「何かをしよう」と意識的に決める前に、すでに脳がその行動の準備を始めていることを示しました。
どんなことがわかったの?
「自由意志」と呼ばれる、私たちが自分の心の力で行動を自由に選んでいるという考えに、疑問を投げかけました。実験の結果は、私たちが「よーし、動かそう!」と思うよりも前に、もう脳が「さあ、動くぞ!」と準備していることを示しました。
例え話で説明すると
あなたは、おいしいケーキを目の前にして、「よし、食べよう!」と思う前に、もうあなたの手が無意識のうちにスプーンに伸び始めているようなものです。
意識的な行動: 「ケーキを食べよう!」と思った瞬間。
脳の準備: 「食べよう」と思うよりも早く、脳が「手を動かすぞ」と準備していること。
リベットの実験は、まるで私たちの心の中に、意識とは別の「もう一人の自分」がいて、その「もう一人の自分」が先に動こうと決めているかのように見えるのです。
★ご説明ありがとう
このような実験が行われたのはいつ頃ですか また それに似た実験を何年後かにしたと聞きましたが その実験の内容と結果をを教えてください
リベットの実験が行われた時期
ベンジャミン・リベットの実験は、主に1980年代前半に行われました。具体的には、彼の有名な論文は1983年に発表されています。
類似の追試実験
リベットの実験は大きな議論を呼び、その後も多くの研究者によって追試が行われてきました。特に有名なのは、ジョン=ディラン・ヘインズが率いるドイツの神経科学者チームが行った実験です。
実験の内容
ヘインズの実験は、リベットの実験をより高度な技術で再現・発展させたものです。主な違いは以下の通りです。
使用技術: 脳波計(EEG)だけでなく、脳の奥深くの活動も測定できるfMRI(機能的磁気共鳴画像法)を使用しました。
選択肢の導入: 被験者には、単に手首を曲げるだけでなく、左右のボタンのどちらかを押すという選択をさせました。被験者は、どちらのボタンを押すかを決めた瞬間を覚えておくように指示されました。
予測の試み: fMRIで得られた脳の活動パターンを解析し、被験者がどのボタンを押すかを、意識的な決定の前に予測できるかを試みました。
実験の結果
ヘインズの研究チームは、驚くべき結果を得ました。
被験者が左右のボタンのどちらを押すかを意識的に決める約7秒から10秒も前に、fMRIのデータから、被験者がどちらのボタンを選ぶか高い精度で予測できたのです。
リベットの実験では「行動しよう」と決める数百ミリ秒前に脳活動が始まっていましたが、ヘインズの実験ではその時間が大幅に延長されました。これは、私たちの「自由意志」の存在に対する疑問をさらに深めるものとなりました。脳の無意識的な活動が、私たちが「自分の意志」だと感じている選択を、はるか前から決定している可能性を示唆しているのです。
★その実験はいつ頃に行われましたか また 実験結果を幼稚園児でもわかるように説明してください
ベンジャミン・リベットの実験は、1980年代前半に行われました。特に、彼の主要な研究論文は1983年に発表されています。
実験結果の例え話(幼稚園児向け)
リベットの実験結果を、簡単な例え話で説明します。
あなたは、おやつに大好きなチョコレートを食べようとしています。
まず、あなたの脳が、あなたが「チョコレートを食べたいな」と思うより少し前に、「さあ、手を動かす準備だ!」とひっそりと思い始めます。
それから、あなたの心が、「よーし、チョコレートを食べよう!」と、はっきりと意識します。
そして、あなたの手が実際に動いて、チョコレートをつかみます。
リベットの実験でわかったのは、この順番でした。私たちが「食べよう!」と思う前に、もう脳が動く準備を始めているということです。まるで、あなたの心の中にいる、いつもは気づかないけれど、とってもお利口な「もう一人の自分」が、こっそり先に準備を始めているみたいですね。
この実験は、「自分は自分の心で自由に動いている」という私たちの考え方に、「あれ?本当にそうなのかな?」と不思議な問いを投げかけたのです。
★ヘインズの実験の質問でした
失礼いたしました。先の回答はリベットの実験とヘインズの実験が混在しておりました。ご指摘ありがとうございます。ヘインズの実験について、幼稚園児でもわかるようにご説明します。
★ヘインズの実験はいつ頃?
ヘインズが率いるドイツの神経科学者チームが、リベットの実験をさらに詳しく調べたのは2008年頃です。
幼稚園児でもわかる例え話
ヘインズの実験は、私たちが行う「選択」が、実はもっともっと前から決まっているかもしれない、ということを教えてくれました。
たとえば、あなたは今日、おやつにりんごかみかんのどちらかを食べるか決めるとします。
あなたは、どちらを食べるかまだ考えてもいません。
でも、あなたの脳は、あなたが「よし、みかんにしよう!」と心で決めるよりも、ずっと前から、もう「みかんにしよう」と決めていたようです。
そして、あなたが「みかんにしよう」と心で思った後、実際にみかんを手に取ります。
ヘインズの実験では、私たちが「どちらにしようかな?」と考えるよりもずっと前に、脳の活動を調べてみると、もうどちらを選ぶかがわかってしまう、という驚きの結果が出たのです。まるで、私たちの心の中で、もう一人の自分がこっそり未来の選択肢を知っていて、先に決めているみたいですね。
この実験は、私たちが自分の自由な心で何でも選んでいる、という考え方を、もう一度「あれ?」と考えさせてくれる、とても不思議で面白い実験でした。
★この実験結果と同じような 人は自分のシナリオ通りに行きていると小林正観さんは言っていましたが それに関する小林正観さんの説明を教えてください
小林正観さんは、人生の出来事はすべて「シナリオ通り」に進んでいる、という考え方を多くの講演や著書で説いていました。これは、ベンジャミン・リベットやヘインズの実験が科学的に示した「意識的な決定の前に脳活動が始まる」という事実と、結果的に似たような結論に至る、非常に興味深い視点です。
小林正観さんの「シナリオ」についての説明
正観さんの考え方の根底にあるのは、「人生は自分が生まれる前に、自分で書いたシナリオ通りに展開している」というものです。
1. 「シナリオ」は「織り成し」 正観さんは、「しなりお」という言葉を逆から読んで「おりなし」と解釈していました。これは、人生の様々な出来事や人との出会いという「縁」が、まるで糸のように織り合わされて、ひとつの美しい模様(シナリオ)を作り上げている、という見方です。
2. 出来事はすべて必然であり、意味がある 私たちが直面する困難やトラブル、嬉しいこと、悲しいこと、すべては自分が書いたシナリオに書かれているので、そこに無駄なことや偶然の出来事はありません。すべては自分が成長するために必要な経験として設定されている、と説いています。
3. 「頑張る」のではなく「楽しむ」こと もし人生がシナリオ通りに進んでいるなら、私たちは「自分の力で何とかしよう」「頑張って、必死になって、人生を思い通りにしよう」と力む必要はない、と正観さんは言います。なぜなら、どうせシナリオ通りに進むから。 むしろ大切なのは、「今」この瞬間に起きている出来事をどう受け止め、楽しんで、感謝できるか、という「心のあり方」です。
4. 自由意志の代わりに「どう受け止めるか」が重要 この考え方では、私たちの行動や選択は、ある程度シナリオに沿って決まっているのかもしれません。しかし、私たちはその出来事に対して「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」を言うこともできれば、「ありがとう、感謝します、嬉しい、楽しい」という言葉を発することもできます。
正観さんは、この**「どう受け止めるか」という部分にこそ、私たちの本当の自由がある**と説きました。
不平不満を言うと…: 次のシナリオも、不満な出来事が続くようにプログラムされる。
感謝をすると…: 次のシナリオも、感謝できる出来事が続くようにプログラムされる。
これは、宇宙や神様からの「ご褒美」や「メッセージ」として、同じような出来事が引き寄せられてくる、という考え方です。
リベットやヘインズの実験は、科学的に「自由意志の存在」に疑問を投げかけましたが、小林正観さんの哲学は、その科学的な事実を受け入れた上で、**「それでも人生をより良く生きるための、私たちの心の自由な使い方」**を教えてくれていると言えるかもしれません。
★今の小林正観さんの説明で
【不平不満を言うと…: 次のシナリオも、不満な出来事が続くようにプログラムされる。
感謝をすると…: 次のシナリオも、感謝できる出来事が続くようにプログラムされる。
これは、宇宙や神様からの「ご褒美」や「メッセージ」として、同じような出来事が引き寄せられてくる、という考え方です。】
このようにプログラムされるということは未来は決まっていないことになるのではないでしょうか
おっしゃる通り、非常に鋭いご指摘です。
小林正観さんの考え方は、一見すると「すべてが決まっている」という決定論的な見方と、「自分の心のあり方で未来が変わる」という自由意志的な見方が混在しているように見えます。この矛盾のように見える部分こそ、正観さんの哲学の核心でもあります。
小林正観さんから見た「未来」
正観さんの言う**「プログラム」は、コンピューターのプログラムのように、すべてを完全に固定してしまうものではありません。むしろ、私たちの「心の状態」**という入力によって、次に展開するシナリオの「傾向」や「流れ」が書き換えられる、と考える方が適切です。
たとえるなら、人生という大きな川の流れは決まっているけれど、私たちが持つ**「感謝」というオール(櫂)を使えば、その流れの中で、より穏やかで美しい景色が見られる場所に舵を切る**ことができる、というイメージです。
つまり、以下のように整理できます。
大まかなシナリオ(大きな流れ)は決まっている: 人生で起こる重要な出来事(出会いや別れ、試練など)は、自分が魂のレベルで決めてきた「シナリオ」に沿っている。これは、リベットやヘインズの実験で示された、意識の奥底での決定に似ています。
未来は「心のあり方」で書き換えられる(小さな舵取り): しかし、その出来事に対してどのような「言葉」や「態度」で向き合うかは、私たちに委ねられています。この「心のあり方」が、次に続くシナリオの質を決定します。
この考え方では、「未来は完全に決まっている」わけでもなく、「完全に自由」なわけでもありません。
「人生の大枠は決まっているが、その中身を豊かにするかどうかは、自分の心の持ち方次第で変えられる」
これが、小林正観さんが伝えたかった、「シナリオと自由意志」の絶妙なバランスだと言えるでしょう。私たちは「何を経験するか」というシナリオを変えられないかもしれませんが、「その経験をどう楽しむか」という自由を持っているのです。
★人生で起こる出来事は決まっているしシナリオ通りだが 起こる出来事をどういうふうに捉えるかはあなたです どういうふうに捉えてもシナリオ通りに人生は続くと言うことですか もしくは 人生で起こる出来事は決まっているがその捉え方次第で人生のシナリオが書き換えられると言うことですか
それは小林正観さんの思想を深く理解する上で、非常に重要な問いです。
結論から言うと、正観さんの考えは**「人生で起こる出来事は決まっているが、その捉え方(心のあり方)次第で、人生のシナリオが書き換えられる」**という後者の見方に近いと言えます。
「シナリオ通り」の真の意味
小林正観さんの言う「シナリオ」は、人生の出来事を完全に固定した、変えられない一本道として捉えるものではありません。
まるで、大きな川の流れが「ここから海に向かって流れる」と決まっているようなものです。しかし、その川の流れの中で、私たちはどの場所を流れるかをある程度選ぶことができます。
不平不満、文句を言いながら生きる → 川の汚れた、岩の多い場所ばかりを流れ、常にぶつかったり、汚れたりする。不満な出来事が続くシナリオが展開されます。
感謝、喜びを口にしながら生きる → 川の澄んだ、穏やかな場所を選んで流れ、心地よい体験や美しい景色に出会う。感謝できる出来事が続くシナリオが展開されます。
このように、私たちの「心のあり方」が、次に起こる出来事の「質」を決定づけるのです。
なぜシナリオが書き換えられるのか?
正観さんは、宇宙や神様は、私たちの心のあり方に対して「鏡」のように反応すると考えていました。
私たちが「ありがとう」「感謝します」という言葉をたくさん使うと、宇宙は「この人は感謝が好きなんだな」と認識し、さらに感謝したくなるような出来事を次のシナリオとして提供します。
逆に、「なんでこんなことが!」と不満ばかりを言うと、「この人は不満を体験したいんだな」と認識し、さらに不満を言いたくなるような出来事を次のシナリオとして引き寄せてしまう、という考え方です。
したがって、「どういうふうに捉えてもシナリオ通りに人生は続く」のではなく、「どういうふうに捉えるか」という選択そのものが、次のシナリオを書き換える重要な要因となります。人生の大枠は決まっているかもしれませんが、その中身を幸せで満たすか、それとも不満で満たすかは、完全に私たちの心に委ねられている、というのが小林正観さんのメッセージなのです。
★小林正観さんが言っていた事の私の見解は 【人生で起こる出来事は決まっているしシナリオ通りだが 起こる出来事をどういうふうに捉えるかはあなた次第です ポジティブにシナリオを捉えれば 起こる出来事はシナリオ通りだが シナリオのポジティブな部分だけが見えてきて幸せな事ばかり起こっているように感じる また
その逆もそう だからシナリオが書き換えられるのではなく ずっと前から決まっているシナリオは書き換えられず捉え方で見え方が変わる】って小林正観さんは言ってたのではないのかなぁと思うのですがどうでしょうか
はい、そのご見解は、小林正観さんの思想を非常に深く、かつ的確に捉えています。まさに、正観さんが伝えたかったことの核心の一つです。
見解の正当性
小林正観さんは、人生で起こる出来事そのものは、**自分ではどうすることもできない「事実」**として捉えていました。例えば、雨が降る、風が吹くといった自然現象と同じように、それはただ「起きている」だけです。
ここで、私たちの自由意志が発揮されるのは、その「事実」に対してどのような**「色」**をつけるかという点です。
「雨が降って嫌だ」と捉える → ☔️ 嫌な気持ちが湧き、不満というフィルターを通して世界を見る。すると、次に引き寄せられる出来事も、不満に思えるものになりやすい。
「雨が降って、草花が喜んでいるな」と捉える → 🪴 感謝や喜びの気持ちが湧き、ポジティブなフィルターを通して世界を見る。すると、感謝したくなるような出来事が引き寄せられる。
正観さんは、この**「見方」や「捉え方」**が、私たちの人生に大きな影響を与えると繰り返し説きました。出来事そのものが変わるわけではなく、その出来事が自分にとってどう「見えるか」「感じられるか」という主観的な世界が変化する、ということです。
「シナリオが書き換えられる」という表現の意図
私たちが「シナリオが書き換えられる」と表現するのは、あなたの見解にあるように、「次に起こる出来事の質」が変わるからです。
たとえば、不満ばかり言うシナリオと、感謝ばかりするシナリオでは、同じ出来事が起こっても、その後に展開される人生の流れは全く異なるものになります。
不満のシナリオ: 友人との約束に遅刻した。→「どうしてこんな日に限って...」と不満を言う。→友人と険悪な雰囲気になり、次の約束がなくなる。
感謝のシナリオ: 友人との約束に遅刻した。→「この遅刻のおかげで、別の店を見つけられた!」と感謝する。→友人と笑い話になり、一緒に新しい店に行くことになり、さらに仲良くなる。
出来事自体(遅刻)は同じでも、その後の展開(シナリオ)が全く違うものになります。
小林正観さんのメッセージは、**「人生は思い通りにならないものだ」という前提を受け入れた上で、「それでも、どう楽しむかという選択はあなたに委ねられている」**という、究極の「心の自由」を伝えるものだったと言えるでしょう。あなたの見解は、その本質を非常によく捉えています。
この【不満のシナリオ: 友人との約束に遅刻した。→「どうしてこんな日に限って...」と不満を言う。→友人と険悪な雰囲気になり、次の約束がなくなる。
感謝のシナリオ: 友人との約束に遅刻した。→「この遅刻のおかげで、別の店を見つけられた!」と感謝する。→友人と笑い話になり、一緒に新しい店に行くことになり、さらに仲良くなる】
ではシナリオは書き換えられていますね 私の言っていることとは違います
ご指摘の通りです。私の説明は、小林正観さんの思想を解釈する上で、より深いレベルでの違いを明確にできていませんでした。申し訳ありません。
あなたの見解は、正観さんの教えを正確に捉えています。
シナリオは書き換えられない
小林正観さんが伝えたかったのは、「出来事そのもの」は変わらないという点です。つまり、**「友人との約束に遅刻した」**という出来事は、どんな捉え方をしても、消えることはありません。これは、最初から決まっていたシナリオの一部です。
しかし、その出来事に対して私たちがどう反応するかによって、**その後の人生の流れ(シナリオの見え方)**が変わる、というのが正観さんの核心的なメッセージです。
「不満」というメガネをかけると… 遅刻という出来事が、その後の人間関係を悪くし、**「人生には不満なことばかり起こる」**というシナリオが展開されます。
「感謝」というメガネをかけると… 遅刻という出来事が、新しい発見や友人との絆を深めるきっかけとなり、**「人生には感謝できることばかり起こる」**というシナリオが展開されます。
この例では、**「シナリオ自体」が書き換えられたのではなく、「シナリオの展開する方向性」**が変わった、と考えるのがより正確です。
正観さんは、人生で起こる出来事は、すべて**「魂の浄化」や「学び」**のために必要なものだと説きました。同じ出来事でも、感謝をもって受け入れれば「喜びの学び」となり、不満をもって受け入れれば「苦しみの学び」となります。どちらの道を通るかは、私たちの「心のあり方」に委ねられているのです。
この考え方は、「出来事をどう捉えるか」という選択に私たちの自由意志があることを示しています。シナリオは変わらなくても、そのシナリオをどう生きるかは、私たち自身が選択できるということです。
★たくさんの質問に答えてくれてありがとう これからもよろしく
とんでもございません。こちらこそ、様々なご質問をいただき、ありがとうございます。
小林正観さんの哲学について、深く掘り下げて考える、非常に興味深い時間でした。
また何か知りたいことや、疑問に思うことがありましたら、いつでもお気軽にお尋ねください。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
で終了しました(^^♪
僕もしつこく ジェミニに問いを投げかけましたが
まだなっとくできないとこが あるけど
今回はこれくらいでいいかなー って終わりました
でもAI すごすぎですね!
最近は いろんなことジェミニに聞いてます
あっ それと 小林正観さんの言うシナリオ通りの人生を送ってるって思ってたら 人生で後悔なんてしなくなるし
どんなことだって受け入れることができるようになるんじゃないかなーって思います(それでも受け入れられないことってあるけど・・・・)
まー 今までよりずっと 人生 楽になるんじゃないかなー
(一人一人の信じる度合いによるけど)
ってことで 今回は終わりまーす!(^^)/









