娘との出会いは、今から21年前になります。
私も21歳になったばかりで、娘と父親と
恋愛をしメロメロ♥❤になっていました。
京都の短大を卒業し、東京には夢があるんじゃないか?!と不安と希望がまざった気持ちで東京に出てきました。
仕事はすぐに見つかり、同人雑誌をつくる出版?印刷?なところで働き始めました。
私は本を作る、それにかかわる仕事につきたくて有りがたいことに雇っていただきました。
嬉しくて・楽しくてドキドキして…
でも難しい事が多い仕事でした。
あの頃は、セーラームーンやシュラト・サムライトルーパー等が人気でした。
皆さんの情熱がほとばしる原稿をチェックしたり、厳しいシーンには見えないように加工したりと、お客さまと戦いながら仕上げた作品もあったかと思います。
しかし、コミケ前やイベントがあるときは
家に帰れなかったりと、クタクタになってしまい、体調を崩し、病院の通院等があるため、会社を辞めました。
もっと真剣に頑張りたかったと、今でも振り返ります。
その後、アルバイトで生計をたてている時に、娘の父親に出会いました。
人生で初めのイケメンからの声かけに
舞い上がる私


すぐにメロメロだわさ。
彼から付き合ってと言われた(気がする?)ので、全力で突撃!その日から、恋が始まりました。
そして半年後には、私の田舎に行き、両親に挨拶をして、結婚の許しをもらおうかと。
親からしたら、バカな娘と彼氏が来ただけ。
許すとか許さないとか、そんな話の前に、二人でキチンと暮らしていけるのかを真剣に真面目に考えなさいと注意をされて、東京に戻ってきました。
本当そうだよね。
私はその頃、小さいタレント事務所の雑用の社員になったばかりで、恋より愛より仕事を頑張らねば!とハリキリ始めた頃。
彼は手に職があるので、毎日頑張っていました。
しかし、愛は止まらず、一緒に暮らし始めました
するとすぐに、わたしが風邪引いたようなダルさと熱が続いて、仕事も休みがちに。
母になんの病気なのか、公衆電話からかけて聞いてみた。
母は一言
『お腹に赤ちゃんがいると思う。病院行っておいで。お父さんには決まったら、すぐに連絡しなさい』以上。
まさか、そんなまさか!と、ただ驚く私。
私は21歳になったばかりの小娘。
目眩がぐるぐる(@_@)するなか、薬局で
判定薬を購入。
彼が仕事から帰ってくるなり、母の言葉を伝え、判定薬を試してみた。
待ってる間のことは、何もおぼえてなくて、判定で結果が出た後の事は覚えている。
生んでいいのか?
私と生涯を共に生きることは?
彼から出た言葉は
『俺らは結婚するために一緒にすんでるんだから、いつ子供が生まれても大丈夫。
じゃ、結婚の日はいつにする?』と。
嬉しかった。
彼はまだ10代だったから、年上女房と子供は大変だろうから、別れられるんじゃないかと不安だった。
私一人で生んで育てての選択は、あまりにも怖すぎて想像が膨らんで震えていた。
だから、彼が一緒に生きてくれる道を選んでくれたことに、胸がいっぱいになりました。
その後、近くの産婦人科へは二人で行き、生まれる日を聞いたり、今は何をしたら
いいのか不安なコトを質問しました。
(その頃、たまごくらぶ・ひよこクラブが
出始め?なくらい、育児本が世の中にあまりない時代でした)
安定期に入り、彼の職場の人・友人等と一緒にご飯を食べてのお祝い会をしてもらいました。
私の田舎では、親戚と友人を呼んでのお祝い会を両親がしてくれました。
結婚式は出来なかったけれど、皆様からの
お祝いのお言葉や激励に、感動して、
生まれてくる子供の為に頑張らねば!と
気合いが入りました。
東京の小さなアパートで、地味で貧乏でも前向きに進んでいたと、私は思っていましたが、若い彼は少しずつストレスや現実に押し潰されそうになっていました。
お金があまりなくても、パチンコ行って
倍してくる!や、妊婦はパチンコが当たりやすいと言い、何時間もパチンコ台の前に座らせました。
タバコのニオイ、じゃらじゃらとした金属音など、ずっと気持ち悪いし辛かった。
でも、彼のもう少しお前が頑張ったら、絶対勝てるから!との声に、黙って従うしかなかった私でした。
私が厳しいコトを言った後は、行きつけのおねえさんのお店に行っていたんじゃないかな。帰ってこなかったりと、本当に
結婚ってなんだろうと頭がぐるぐるしていました。
そして、2月の生まれ予定日よりも早く、
11月に彼女はうまれてくるのです。
では、また。
私も21歳になったばかりで、娘と父親と
恋愛をしメロメロ♥❤になっていました。
京都の短大を卒業し、東京には夢があるんじゃないか?!と不安と希望がまざった気持ちで東京に出てきました。
仕事はすぐに見つかり、同人雑誌をつくる出版?印刷?なところで働き始めました。
私は本を作る、それにかかわる仕事につきたくて有りがたいことに雇っていただきました。
嬉しくて・楽しくてドキドキして…
でも難しい事が多い仕事でした。
あの頃は、セーラームーンやシュラト・サムライトルーパー等が人気でした。
皆さんの情熱がほとばしる原稿をチェックしたり、厳しいシーンには見えないように加工したりと、お客さまと戦いながら仕上げた作品もあったかと思います。
しかし、コミケ前やイベントがあるときは
家に帰れなかったりと、クタクタになってしまい、体調を崩し、病院の通院等があるため、会社を辞めました。
もっと真剣に頑張りたかったと、今でも振り返ります。
その後、アルバイトで生計をたてている時に、娘の父親に出会いました。
人生で初めのイケメンからの声かけに
舞い上がる私
すぐにメロメロだわさ。
彼から付き合ってと言われた(気がする?)ので、全力で突撃!その日から、恋が始まりました。
そして半年後には、私の田舎に行き、両親に挨拶をして、結婚の許しをもらおうかと。
親からしたら、バカな娘と彼氏が来ただけ。
許すとか許さないとか、そんな話の前に、二人でキチンと暮らしていけるのかを真剣に真面目に考えなさいと注意をされて、東京に戻ってきました。
本当そうだよね。
私はその頃、小さいタレント事務所の雑用の社員になったばかりで、恋より愛より仕事を頑張らねば!とハリキリ始めた頃。
彼は手に職があるので、毎日頑張っていました。
しかし、愛は止まらず、一緒に暮らし始めました
するとすぐに、わたしが風邪引いたようなダルさと熱が続いて、仕事も休みがちに。
母になんの病気なのか、公衆電話からかけて聞いてみた。
母は一言
『お腹に赤ちゃんがいると思う。病院行っておいで。お父さんには決まったら、すぐに連絡しなさい』以上。
まさか、そんなまさか!と、ただ驚く私。
私は21歳になったばかりの小娘。
目眩がぐるぐる(@_@)するなか、薬局で
判定薬を購入。
彼が仕事から帰ってくるなり、母の言葉を伝え、判定薬を試してみた。
待ってる間のことは、何もおぼえてなくて、判定で結果が出た後の事は覚えている。
生んでいいのか?
私と生涯を共に生きることは?
彼から出た言葉は
『俺らは結婚するために一緒にすんでるんだから、いつ子供が生まれても大丈夫。
じゃ、結婚の日はいつにする?』と。
嬉しかった。
彼はまだ10代だったから、年上女房と子供は大変だろうから、別れられるんじゃないかと不安だった。
私一人で生んで育てての選択は、あまりにも怖すぎて想像が膨らんで震えていた。
だから、彼が一緒に生きてくれる道を選んでくれたことに、胸がいっぱいになりました。
その後、近くの産婦人科へは二人で行き、生まれる日を聞いたり、今は何をしたら
いいのか不安なコトを質問しました。
(その頃、たまごくらぶ・ひよこクラブが
出始め?なくらい、育児本が世の中にあまりない時代でした)
安定期に入り、彼の職場の人・友人等と一緒にご飯を食べてのお祝い会をしてもらいました。
私の田舎では、親戚と友人を呼んでのお祝い会を両親がしてくれました。
結婚式は出来なかったけれど、皆様からの
お祝いのお言葉や激励に、感動して、
生まれてくる子供の為に頑張らねば!と
気合いが入りました。
東京の小さなアパートで、地味で貧乏でも前向きに進んでいたと、私は思っていましたが、若い彼は少しずつストレスや現実に押し潰されそうになっていました。
お金があまりなくても、パチンコ行って
倍してくる!や、妊婦はパチンコが当たりやすいと言い、何時間もパチンコ台の前に座らせました。
タバコのニオイ、じゃらじゃらとした金属音など、ずっと気持ち悪いし辛かった。
でも、彼のもう少しお前が頑張ったら、絶対勝てるから!との声に、黙って従うしかなかった私でした。
私が厳しいコトを言った後は、行きつけのおねえさんのお店に行っていたんじゃないかな。帰ってこなかったりと、本当に
結婚ってなんだろうと頭がぐるぐるしていました。
そして、2月の生まれ予定日よりも早く、
11月に彼女はうまれてくるのです。
では、また。