今年も桜の花は早いかもしれない
春の陽射しと暖かな優しいそよ風
ピンクに染まる美しい私の大好きな季節は
悲しくて辛い季節となってしまった。
彼氏?と聞かれる程仲が良かった弟を事故で亡くしたのも満開の桜、暖かい陽射しそして優しい風の日。もう20年以上も経つというのに刻まれた悲しい記憶が、消えてはくれない。
同じ桜の日、舞う花びらに思いを馳せながらも
楽しい記憶を増やそうと観光船へ。
私を知る人に言葉にした事はないけれど
「生きてる事ってしんどいよ。支えてもらえる時代から支える責任世代となって何でも出来るようであっても自由なわけじゃない。後先考えずに消えてしまいたい。ずるいよ。先に勝手に死んじゃって!」
心の中はいつも叫んでる。
心地よく船旅が始まって
目の前にいる船頭さんの会話が面白おかしく水しぶきも快適なスパイスになっていた。
出発して15分程たったころ、櫂を持つ船頭さんが後ろへ走った!その櫂は、船から離れ流されてくのが見えて驚いた。先頭で竿を操る船頭さんが、川の中にある岩を避けようと竿をしならせ踏ん張っているが船先は目前の大きな岩へ吸い込まれるように激突した。
操縦不能となったらしい時刻から10秒程なのだから、乗客への危険回避の準備も指示も間に合わなかった。平和ボケしている自分の脳は危険な目に遭う訳がない、客を楽しませるパフォーマンスの一つだなんて思ったまま、状況を理解できずに川底へ沈んだ。ヤバイ、息が出来ない。川底らしき石を蹴り上げて浮上を試みるが何か(船が覆い被さっている)が邪魔をして空気が吸えない。目を開けて光の指す方向へ潜水し水面を探した。
空気を吸えた瞬間から水も口へ入ってくる。マスクが顔にへばりつき、呼吸が上手くできない。
と同時に水に押し流され体が岩に激突し回転しながらまた沈んでしまう。
呼吸がしたい。苦しい。
へばりつくマスクを何とか外せた事で視界も開けた。体を動かせばその分呼吸も乱れ息がもたない。
「事故だ!冷たい川に落ちたんだ!
これは、命の危険を伴ったヤバイやつだ!」
流石に理解した。「コレやばい。死んじゃう!!
こんな所で私の子供を死なせる訳にはいかない。助ける!見つけなければ!」
力が奮い立つが、名前を叫ぶのがやっとで、自身の呼吸もままならない。「ここで!? 私が命懸けで産んだ子供を失うかもしれない!嫌だ!!絶対に嫌だ!あー、神様、私は死んでいいからあの子を助けて下さい!どうしよう どうしたらいんだろ!何が何でも救い出さなきゃ!生きる意味ない!」子供を亡くすかもしれないという恐怖だけが心を支配していた。
負けるもんか!流されていながらも子供を探した。息継ぎと同時に口に入ってくる水と服や靴の影響でどうしても頭の方が沈んでしまって、空気が吸えない。救命胴衣の存在は知っていたので、膨らませようと試みるが紐がどこにあるのか手探りではわからない。「マジか‼︎何だこんなの意味ないやん‼︎」救命胴衣を諦め、私は泳げる、できる、できると脳に思い込ませた。
浮いてさえいれば、必ず浅瀬へ向かうはずだと思っていたが、浮いていない(呼吸を確保できない)ので、どこへ向かっているのかもわからず、浮上しては沈んでを繰り返しながら流され続けた。
いつしか、手足を動かす事が出来ない事に気づいた。
イメージは、胎盤の羊水の中で泳ぐ赤ちゃんのような。暖かくて柔らかくふわふわしたものに包まれ、輝く陽射しがゆらめき、冷たさや痛み、息苦しさも何にも感じない。脳だけが生きているという感覚。
「あー、死んじゃうってこういう事なのかぁ。身体は動かないけど、魂はあるんだぁ。そっかぁ。
楽になれるかも。責任もって頑張ったりもういいかなぁ。あー、何年も会ってない友達いたなぁ。家族の生活どうしよぉ。やらなきゃならない事いっぱいあったなぁ。あー、もういいよなぁ、結構頑張ったしなぁ。ママ、死んじゃってごめんねー、このままもう消えてしまえる‥‥‥」
女の子が川辺で二人震えながら座っている所へ
動かない大きな黒い人間が流れていく
川岸を数人が走って追いかけている。
黄色かオレンジか救命胴衣らしきが膨らんでいる人たちが岩や川辺に集まって、船頭さんが、助けろ!助けろ!と叫んでいた。
なぜ見えていて、知っているのかわからないが、
後の事情聴取で、伝えたらその通りだった。
どうやって救助されたのか記憶はないが、川岸で砂まみれの自分の服を脱がされていたのはわかった。子供は、無事だと教えてもらって声を聞いてから、今、現実で、死ななかったんだと理解できた。
安心と同時に睡魔に襲われるが、付き添ってくれる女性がいて目を開けろと厳しめに声をかけてくれていた。
救助隊が到着し、先に川から上がれていた子供と再会できた時は、神様に感謝した。
全身が動かせない為、周りの状況はわからないが、救助隊、船頭、乗客何十人もの人の気配があった。点呼、説明に何時間もかかり、たくさんの報道ヘリの音がバリバリバリバリと大きくて、説明の声はあまり聞こえてこなかった。救助隊の方が、船に座る事も出来ない状態の私に寄り添い「また40分ほど船に乗って川を下るので、耐えて下さい。」と耳元で説明してくれた。
嵐山に到着し、消防、警察、救急車、報道陣、埋め尽くす観光客。凄まじい数のスマホと報道カメラを向けられ、大きな事故に遭ったのかと思った。
乗客は、毛布にくるまって自力で下船できていたそうだが、横になったままの私を船から救急車まで運ぶ道が無いようで、どうするかの声が聞こえてきた。起き上がりたかったが、自分の腕を動かすにも力が入らない。
申し訳なくて「すみません」とつぶやいてた。
その後、たくさんの方々が集まって
「今からキツイ体制になりますが、すぐに救急車に乗れますからもう少し頑張って下さい。」
担架にくくりつけられ?て、たくさんの人の気配と共に担がれて斜め上に上がって移動していたようだった。意識はハッキリ戻っていたので、申し訳なさや、恥ずかしさが身体の痛みより強かった。
ニュースでよく見かけるブルーシートで現場を隠す物々しい様子と報道陣にも驚いた。
救急車内は、温度を熱い位に上げてくれていたようで、徐々に指を動かせるようになった。
家族への連絡先を聞かれたが、荷物は全て流され、握りしめていたスマホは水没していたので、家族の電話番号を記憶しておらずスマホ時代の盲点だと思った。
入院中にお一人の船頭さんが亡くなられたと知り、
退院する時には、行方不明の船頭さんが、まだ見つかっていないと聞いた。
帰宅後に初めてニュースをテレビで見た。
はっ?と思う程理不尽な内容の解説に驚いた。想像だけで勝手に言ってる、そんな訳ないじゃない!
乗客全員自力で川から上がれた模様で軽傷と報道していた。
「乗客全員の救命胴衣が膨らんでる訳じゃない!」少なくても自分は救命胴衣の膨らまない絶望感も激流の中で何も出来ないのだという恐怖の時間を存分に味わった。
「ヤバいんちゃう?この子の救命胴衣開いてないやん‼︎」
という声を、私の子供は泳げるので、必死に浮こうともがいている時に聞こえていたらしく、周りの大人の人は、救命胴衣で浮いていたのを何で?と思ったそうだ。
保津川下りの事故のニュースが次々と流れてくる。
組合と船頭さんを責める報道ばかりだった。
伝えなければ!!ただ、そう思った。
勇気、思いやり、助け合い、慈愛に満ちた、国籍を問わず 人である事を誇りに思える現場であった事。
ニュースを見て、亡くなられた船頭さんのお顔がわかった。
あの時、船の進行方向を変えられる可能性のある道具は、先頭の竿のみ。全身全霊で速度を増す船の向きを変えようとしていた姿がビデオに残っている。
田中さんだ。
私が最後に見た動かない黒い人間も田中さんだ。
帰宅後、子供が、家族に
「自分はこの船頭さんに助けてもらった。」と言い出した。関さんだそうだ。子供の救命胴衣を開こうと船頭さんが近づいてきたが、膨らまず、浮く事が困難な子供に流されてきた木箱を掴ませてくれたらしい。
水流が激しく直ぐにはぐれたが、呼吸を確保でき助かっている。
当日のニュースを見る限り、担架で運ばれているのは一人だった。他の人は、歩ける状態のようだった。入院された方々も、当日中に帰宅できているようだった。
私は、起き上がってトイレに立つ事も出来ず、点滴で体温を上げてもらい、起き上がれて水分を口にできたのは、次の日だった。
まともに歩けないが、打ち身のみで、大きな怪我は無かったため、次の日には退院させてもらった。
自分だけがこれほど長く流されてしまったのか?
呼吸を確保して浮けたかどうかの差だと思う。
もし、
私達の救命胴衣も自動で膨らんでいたらもっと楽だったのにとか、
船頭さんが救助に来てくれない状態だったら、生きてなかったなとか‥
運の良し悪しか?と考える毎日だった。
自宅で関さんが見つかったとのニュースを見た。
私が救助されたほぼ同じ場所らしい。
SNSで一般の方が書かれているように、川を知り尽くしたベテランの船頭さんの水死は考えられない。
それも、救助活動されているのだから、自らを救うのは容易だったはず。
何人もの乗客を救助した後、流される乗客に気付き追いかけて下さったのだとしたら私と同じ様な場所で、低体温症となって身体を動かせなくなってしまう。私を救う行動の為に亡くなられてしまったのではないだろうか。真実はわからないかもしれないが、否定もできない。
この世から消えたい‥などと考えていた自分が健康に生きている事を申し訳なく思ってしまう。
船頭さんのご遺族は、乗客を責める事も許されず、仕事を責める事も口にできない。
やりどころのない悲しみであろうと。
私達は、事故同時のそよ風や、暖かい陽射し、水に沈んでいく音、などの感触にPTSDとなっていたが、もう、ほぼ回復していると思っていた。
先日、TVで電車事故に合い生存できた方の再現放送を目にしてしまった。私達は、激しい動悸と過呼吸で動けなくなっていました。同じ事故に遭って、生き残ることも、他人には、伝え難い記憶と辛い思いがあるのです。
言葉にし、理解してもらうのは難しいのですが、生きる事、楽しむ事が、申し訳なく感じてしまってつらい気持ちになるのです。
「感謝せなね、亡くなられた方の分も幸せになって」とか、「助かって良かったね、生きてるだけでラッキー」とか「皆さんに助けてもらったんやから、これから頑張らなきゃね」が、重荷と感じてしまい、心が苦しくなってしまう。
助けてもらったくせに、と、思われているんだろうと上手く生きていない事を申し訳なく感じてしまう。この様な負の考えを伝える事も、軽蔑されてしまうんだろう。
親として、人間として、強くしっかりしなきゃと頑張っているつもりだけれど、どこかに、同じ思いの方がいるのなら、聞くのではなく、分かり合える方がいるのなら苦しいねと心のつかえを曝け出して一緒に泣きたい。
あの日の事故から救助までの詳細を知りたいと思う。
その反面、無かったかのように全てを忘れてしまって、心にのしかかる重みから解放されたい。
許されるのなら、一年を迎えるにあたって、
被害者、そして、救助された人という立場からも解放されたい。
記憶は消えないだろうが、自分の心に小さくても終止符を刻みたいと思う。