或る人はSを立ち上がらせる時に、Sを半ば「石」と認識し、推定・目測30kgの重量を持ち上げるだけの腕力を使っていた。成人男性でもその挙動には額に薄っすら汗を浮かび上がらせるに事足りる、謂わば「労力」であった。私はそれを「情け無い、はしたない・・・」と眺めながら横目で流した。その、或る人は浮かび上がる汗に「一生懸命」と云う美しさを抱くのかもしれない。私は罪深くさえ思った。その汗の内容、構成要素・・・雑菌。其れが抱く微小な真意。私は其れを培養液の中に浸し、主人に真意を伝えられる子供まで育ててみたい・・・と夢想したり持ち掛けたりもしたが、あなた達は皆んな、口を揃えて「明日も仕事だから・・・」とハンカチをクリーニングに出しては、真意を殺し?いや、一定の生活水準を保つ為の悲鳴で音叉を叩き、その残響の中にくぐもらせた。
そんな、「或る人とS」の間に鎮座する関係性には何ら生産性のないゼロから生じた無縁仏の様な何かが横たわっていた。
私はSを立ち上がらせる時に腕力などは殆んど用いない。シャワーの水圧と戯れ、心地良く押しのける程度の添乳で充分なのである。私はSがSである事をただ知っていると云う事実のもとに、その名前を呼び「立ち上がって欲しい」私の心情を伝えるのです。そうするとSはもう殆んど自ら立ち上がるのだから、私はただ感謝の意を込めて手を差し出すだけなのです。
あなた達は嫌いな人に返事を返しますか?信頼をしていない誰かに心を開きますか?
「建前」・・・いいでしょう。大概の人は社会生活とやらを円滑に進める為と言っては、日常的に嘘をつき、嘘に嘘を重ねるから、きっと「公私」を二分化し、どちらの側面にも必要性がある・・・と殆んどの民意を共犯にし、泥棒の始まりに立っているのです。
だけれど、Sは違う。世界は1つであり、二分化などされない・・・。其れが所謂「普通」と比べ顕著なだけなのである。だから、名前も呼ばす両脇を抱えて立ち上がらせようとするあなた達には反駁があるのです。
私にSからの信頼があるかはさて置き、私は最低限の礼節、人と人が関わる上での美徳としてSの呼称を口にする。唯、其れだけの事なのです・・・。
或る人に言いたい・・・。
美徳と称して「公け」の中で横領したSの人権は何処で返すのですか?
あなた達が剥奪したSの呼称を集約して、傾向と対策と云う非人道的な過程から出来たテキストは今日も誰かの下敷きになり、「座学」と呼ばれるのですか?
