かわっちゃんです。
ひさしぶりの
良い感じに余白たっぷりの
お正月です
実家は雪だったみたいで
帰省を延期したのも
どこか良い勘が働いたみたい。
歴史小説をずっと読んでました。
今年の大河ドラマが豊臣兄弟だからか
気にはしてませんでしたが
読んでいたのは北条氏康
その前には早雲と
風摩小太郎読んでる
地元の韮山城を拝み
韮山様・・とお辞儀し
風摩にいたっては
いまだに民間に存在していると
信じてます爆
四巻一気読みし氏康は
2月に次の文庫が出るらしいと知り
富樫先生は北条サーガを
ライフワークとおっしゃってるから
同時代読みが出来るかなと思ってます。
読んでるうちに
吉川栄治の私本太平記
山岡荘八の徳川家康
読みたくなってきました。
歴史小説が実は、
一番好きです。
ただ、現代作家さんが少ないので
いきつくのはきっと
古典になるのかも知れません。
それもまた楽しみです。
歴史を思い
これからの未来を思います。
ぶっとんだ話になりますが
歴史本などを読んでいるうちに、
いつも思うのですが
なんでこんなに
人間はずっと戦争してるんだ、と思います。
浮かんだ思いを今日はお話させてください。
人類において
7~10万年前に認知革命が起きて以来
(認知革命→架空の概念を距離の離れた遠くの人類とも共有することが出来るようになった革命。神や精霊やそのアイコンとなるシンボルや概念などを通じて、共同体意識が持てるようになれた)
自然や外敵天敵の獣や虫や病の驚異
一発でやばい状態になる危険や死
そして
飢え
渇き
寒さと暑さ
です。
危険と一発死の危険から
常に戦い続けることに対し
焦りと不安を瞬時に発動させて
脳と体に経験値と共に起死回生の行動を
もたらし続ける知恵を
われわれ人類は
その目締めと共に
脳に発動させ続けた歴史があります。
その時代の長さは
6~9万年です。
そんなのが脳に発動されて
生き延びてきた歴史が
あるわけですから、
人の不安や焦りというのは
なくなるもんじゃありません。
なんにもしないにしよう
考えるのやめてみよう
とか言っている
私みたいなリーダーがいたら
たぶんその社会全滅です
私が一番に4にます
サバイバルな時代です
誰にとっても
背負うものしかない時代です。
人の資産は
狩猟や暮らしのための労働力。
いつも一緒にいる仲間と
離れたところにいる仲間たちとの繋がりです。
仲間となるならみんなの資産という
概念だったかも知れません。
仲間でないなら資産ではない
という概念だったかも知れません。
どうやら
すべての基本の資産所有の概念がここで
生まれていたかも知れません。
これが少しだけ解決され始めたのが
農業や放牧の出現です
約1万年前の農業革命です。
これで飢えによる
焦りや不安の持ち方が変わりました。
狩猟時代と違うのは
数ヶ月~1年とかの単位で
収穫されたものをみんなで
食べるというもの
蓄えるということが
出来るようになりましたから
土地が基本的な拠り所となり
定住が始まります。
しかし、天候にはまだまだ勝てません。
災害や寒冷や暑さ、虫や疫病の発生
集中して暮らすことによる衛生上の問題
飢饉はもっと深刻にやってきます。
なのでよその村から
奪います。
遊牧民は機動力があるから
とにかく略奪は得意だったかも知れません。

(定住組は逃げるか武装を強めるしかない)
農業を中心にして
蓄財をし
武装し力を蓄えまた武装し
侵略するか
守るか
その資本は土地と労働力。
土地が増えました。
そして交換されたり
流通される生産物。
加工されたりしながら
資産となります。
土地と生産物。
人類には、
これが増えました。
ですが、不安と焦りは
まだ変わりません。
飢饉や病もまだまだ解決しません。
脳は相変わらずです。
生産物を流通するうちに
遠くの人たちや
文化の異なる人たちと
価値を交換するために
貨幣がうまれました。
政治的にはまだ占いや
まじないが中心でしたが
資産には貨幣が加わっていきます。
ここから
貨幣に信用や保証がつくことで海の向こうの
もっと遠い人たちと繋がりが持てるように
なります。
さらにその貨幣価値の変動や
差額により資産を増やすことも可能に
なりました。
宗教的価値観など概念の壁もありましたが
世界中においても
人間本来の実用が勝っていったように思います。
その繋がりと資産の増加のスピードは
活発な流通や技術開発をもたらしていき
生産要素の3つ
労働力
土地
資本
特に資本が飛躍的に多様化していきました。
しかしひとたび資本が不足するまでに
資産が減少していくと
戦争は物質的を求めて活発になります。
天候や災害による飢饉により
強くもたらされていきます。
そのたびに
戦術や戦略が高度になっていき
新たな技術や圧倒的な武力が現れるまで
世界中どこでも戦争の時代は長期化
してきました。
より不安と焦りは増し
争いあう奪いあう時代が
数千年以上続いてきました。
現代
大きな戦争は終わり
ようやく平和となりました
しかし
実は構造の変化はあるものの
選んだ構造を人類は単に
僕は横にスライドしただけのものだと
感じます
でもそれにより
人類は
飢えや病から抜け出していくことが
出来ました。
ですが人類は
何も変わってない。
むしろ
物質文明は、
心や人の繋がりを、物質にとらえている。
情報社会になり
人の反応は、記号となり
その記号は、物質文明のひとつ
延長として、とらえられています。
人はまだ
何も変わってない理由と
この10~30年ほど
心の問題がとにかく問題とされてます。
これは
実は心、という不可侵の領域を
物質として扱われていたり
自然と差し出していたりするから
ではないでしょうか。
ここには
人類が解決していない
不安や焦りに対しての
未発達の領域があり
心をどうするか?
に対して
資本として扱おうとしている限り
解決していかない
背負い続けることを
選んでしまうものになると
思いました。
守ろうとすればするほど
削られていき
削られないように反応すれぱするほど
疲弊するのです。
SNSがそうです。
心の反応が資本になっていて
見えない資産をつくるものになっています。
そうなると次は二分化です。
心を選ぶか
記号を選ぶか
でもどっちも不正解で
どちらも物質文明モデルの構造から
投げ出された選択肢です。
そうではなく
もともと別もので、別次元の話です。
実は人類は最初から
心が削られ続けています。
もう無理だー!!です。
助けてー!!です。
神様ー!!です。
でも、誰も助けてくれず
局所的に多くのコミュニティが
全滅してきました。
だから繋がりました。
でも全滅してきました。
心が削られるしかありません。
踏ん張るしかなく
心に目を向ける余裕なんてなかったんです。
食料などを備蓄し蓄財が出来
飢えに渇きが満たされて
さらに豊かになろうとも
貨幣がそれに変わろうとも
戦争し続けながら何とか人類は
人類として生き延び続け
なんとかやってきました。
で、やっと
やーーーっと
7~10万年たって
私たちは心に目を向けられる余裕が生まれてきたんです。
これが始まったのが
おそらく歴史文明の始まり
文字の文明の始まり
物語の始まり
哲学や思想の始まり
そのながれのなかで
ようやく
さらに余白を持てる状態の
資本が一人一人に持てるようになった世界を
構造として選べるようになれた。
これが心が削れていることが
社会課題として現れてきた側面と思うんです。
そして今日
話したい一番の課題は、
戦後80年において
そもそも多くのものが変わったけれども
実はこの心は、
富と豊かさを急速に増やすために
その代償として物質的に
分断されてきたということ。
もっというと
からだも
五感をも分断されてきた。
忙しくてそれどころではない
その時は良かったかもしれない
しかし
その時は過ぎました
より強く求めてもらうために
戦略的に戦術的に
分断されたあとに今があります
いつしか目的もビジョンも
架空的に作られてきました
良くも悪くも
人類の叡智は本当にすごい。
この心の問題は人類にずっとあるもの。
でも、これは分断されてきたものとしてあるものを更に意図的に、急速な富と豊かさを産むために
かなり細かく分断されていく流れを真面目に選択し続けてきています。
それは複数の多様な方向から多数のタイミングや流れでおき続けていて、誰も止めようがありませんし、止めるものでもないかも知れません。
今なおです。
延長としてあるということに
気付かずに、
心を同次元の物質と
無自覚にとらえていく限り
倫理や法律がいくらあったとしても
現代では
心は常に削られ続けます。
そういう構造になっているからです。
これはそう簡単には変えられません。
人類の歴史においても
なんとかこれを変えようと試みた人たちも
いますが、無理でしたし、きっとこの選択を変えていくのは、ずっとずっと未来の話な気がします。
どうしたらいいのか。
ここからは
とても地味な話になります。
なぜなら人類が
コツコツ構造を変えてきたものを
小さく小さく移動していく行為だからです。
簡単にいうと
あなた自体が
削られないようになることです。
資産ももちろんです。
あなたの資本もです。
大切な技術もです。
からだは、もちろんですが
とにかくあなた自身の
五感を大切にすることです。
人やマーケットに
それを明け渡さないことです。
シンプルに
感じていれば、削れないし
感じないで回すと、削れます。
五感で単に
「何が起きているかを、そのまま知っているか」それだけ。
もっと具体的にいうと
数値効率比較消費役割
それを五感より上に置くと、
心が摩耗します。
しないよ、平気という人は
たぶんズレてます。
僕もそうでした。
健康を害しました。
ちなみに
摩耗そのものをすることが
個人の楽しみとしてだとしても
それは文明として
後世からみると
とても悪趣味だと認識してほしい気がします。
もうひとつ。
心と資産は分離し
別次元のものとすることです。
つまり、私と境界線が
わかるということです。
それがあるなしで
豊かさが、変わります。
ただ、
現代社会は、
個人単位で選ばされる
責任は個に返る
心は預けられない
でも孤立は進む
という、
中途半端な構造です。
ここで起きるのが、
自我はあるのに、
境界を引く力がない
という状態。
これが、いちばん苦しいわけです。
これは 弱さでも
未熟さでも
性格の問題でもないです。
社会構造の移行期に起きる、
典型的な摩擦、と思うんです。
今だから、起きている。
だから、これから必要になるものとして
境界を「教えない」
境界を「与えない」
でも、境界を、
自分で確かめられる環境
五感に戻れる
反応しなくていい
比較されない
評価されない
そういう「小さな場」が必要になる、
必要って思います。
境界を引く練習ができる、
小さくて安全な場
です。
これから生きやすいのは、
個を失わず、
境界を自分で引ける人。
でもそれは
強い人
自立した人
という意味ではないです。
五感を基準に
ここまで、と引ける人という意味です。
ではまた
背景になっている考え方です。お暇なときにどうぞ。
静かな対話の場を始めました。ゆっくり静かにていねいに。
















