2018年。
 
昨日さらっとブログを更新しましたが、前回更新、2015年でとまってた!!3年もどうしたの?何してたの?私!
ということで少し言い訳と振り返り。
 
 
最後の更新ではじいちゃんばあちゃんの畑が水害に遭い、その後、ガラクタを片つけたりガラスを取り除いたりそれはそれは大変な作業でした。1ヶ月後には少しずつ畑を耕し作物を植えるくらいになってたんですが、ブログに載せようという気分になれなくなったんですね。。
でも、じいちゃんばあちゃんのパワーは超すごくて我々が心配せずともどんどんと畑を甦らせましたよ!!現在は以前にも増して青々とした畑になってますが、じいちゃんいわく、土がまだ落ち着かないから難しいと日々試行錯誤の連続だとのこと。パワーをあげようとして、逆にパワーもらってます。
 
そして私の身の上でも色々ありました!
 
2015年12月、入籍!
2016年3月、結婚式!
同年6月、新婚旅行!
同年12月、妊娠検査薬陽性!
2017年1月、妊娠確定!悪阻!
同年9月、出産!
 
そして現在に至ります。
畑からすっかり離れてしまって、自分ではじめたブログのコンセプトとも離れてしまって、更新が途絶えました。
 
2018年!
新年も迎えたことですし、自分の記録も兼ねてぼんやりとブログ更新していこうと思います。畑のことだったり子どものことだったり、日々を綴らせていただきます。。
 
今年もどうぞよろしくお願いいたします

 
震災のあの日にもし戻ることが出来たなら
 
私は何が出来ただろう
 
何かを出来ただろうか
 
救うことが出来ただろうか
 
何も出来なかった自分の後悔
 
あの日見上げた夜空の星は残酷なほど綺麗だった 
 
 
 
「君の名は。」
 
そんな作品、私の中で。

 
 
過去
現在
未来
 
 
 
それぞれ3本の線
違うようで
同じ1本の線
 
過去も未来も今
 
 
 
 
 
ずっと、今が続いたら良いのに
過去にも戻らず
未来にも進まず
  
でも、今が続けば過去も未来も出来上がる
 
 
精一杯生きよう。
愛する人のために。

久しぶりの更新になります!
昨夜の水害の記事です。
少々、重たい内容となります。
大丈夫な方だけご覧ください。




暑さが過ぎたと思えば、連日の雨。
天候悪くたって負けずに毎週、しげじじいちゃんとくみこばあちゃんの畑に行っておりました。
トマトやナス、ピーマン等たくさんの畑の恵みを頂き、やっとこさ夏を乗りきり、あとはゆっくりと実りの秋を満喫するばかりだった矢先。。。

未曾有の大水害はやってきました。

茨城の常総が大きくニュースに取り上げられる中、大雨は東北各地へも爪を伸ばしてやってきました。

311を彷彿とさせるような大水害。

昨夜の宮城県は大雨の渦中でした。
自分の中で、どこか、ソワソワとしワクワクしてしまったその心に悔いが残ります。

昨夜より宮城県の各地には災害関連のエリアメールが深夜まで鳴り響きました。
黒川郡大和町にある祖父母の畑、そこの近くには川が流れ、時々床下浸水する程度の水が上がる場所だったため、心配はしていたものの、なってみないとわからない。と、夜はエリアメールに起こされつつも眠りにつきました。

朝起きてすぐニュースを確認。
ほとんどが常総のニュースで宮城県のニュースは主に市営バスや電車の運休、学校の臨時休校を知らせるものでした。すると父から、どうやら大和署が浸水したとの情報が入り、その近辺に位置する畑もまた浸水の被害が出たことは間違いないと確信しました。

仕事があったため、いつもより早く出勤しましたが、通勤路が隆起し、車線規制があったこと、浸水による通行止めがあちこちにあり車が多かったこと等あり遅刻ギリギリで職場に到着。

淡々と仕事をこなし、昼休みにさしかかると、母から電話がきました。

『畑壊滅だってよ。畑どころか小屋もみな滅茶苦茶で、ニワトリもヒナも死んでしまったって……』

思わず、え?!
っと大きな声をあげてしまいました。

ヒナがいたのはプレハブ小屋の中でプレハブ小屋は地面から30センチは高い場所に床を貼っていたし、止まり木もあったのでまさかと思いました。外の鶏小屋ならまだしも……
と、いてもたってもいれなくなり、祖父の携帯に電話を掛けると、いつものわりと明るめの口調で

『あ~ぁ、畑みな流れた~、鶏もプレハブ小屋もみなダメ!外の鶏は何匹か生きったぐれだ~』

あっけらかんと話し、仕事帰りに様子みに行くと言った私に対して、明日で大丈夫だから今日は来るなと返答がありました。

仕事が終わり、やはり気になって、畑に向かうと





道路の陥没。通行不能。
反対側の道路に周り、まず目についたのが




畑のすぐ側の土砂崩れ。

不安が募るいっぽう。




見たことないほどの濁流、荒々しく水かさの増した畑側の川。

テレビカメラ等の車両があり、畑前まで行けず、途中車を止めて畑へ向かいました。
祖父母はすでに帰宅していると思い畑に行くと、まだ片付けに追われる祖父母と叔父の姿をみつけました。




プレハブ小屋の玄関は歪み、割れた窓越しに祖父に声を掛けると、

『鶏小屋からじゃないと入れないよ』

と言われて、裏手の鶏小屋にまわりました。




なぎ倒されたいちじくの木を越え、鳥小屋へ。






基礎から1メーターずれた場所に鶏小屋はあり、泥の具合からみて、水は腰の高さを越えて上がったことがわかりました。

えぐれて陥没した道を通り、プレハブ小屋へ入ると、それまでも雑然とした物置小屋のような場所でしたが、泥とゴミとでどこから手をつけて良いかわからないような空間になっていました。



 
祖父が日中頑張り、歩く場所は多少あるものの、どこから手をつけて良いか、私には検討もつきませんでした。

ただ、うろうろと、変わり果てた畑を撮影しました。

















大切に育てていた作物もほとんど流出。

ついこの間までの写真と比較。↓


少し、胸が詰まるような悲しい気持ちになりましたが、祖父母の落胆はあっけらかんとした口調と違い、目に見えて大きく、疲労していましたし、私がガッカリする訳にもいかないなと、まずは、やれることをして、また祖父母と畑が出来るようにと、ただただ思いました。

その後、祖母に

『鶏の卵とってこ』

と言われて、一緒にとりに行くことに。

鳥小屋の中は泥にまみれ、一部の板が外れてドアをあけるとすぐに生きた鶏がいました。入り口付近に3つほど卵をみつけ奥に進むと、まず1羽、鶏が横たわっていました。ばあちゃんはじいちゃんに報告。
さらに奥に進むと、フェンスに向かって折り重なるように20羽程の鶏が変わり果てていました。

そのことをじいちゃんに伝えると、可哀想にな……と呟き、私がみつけられなかった数個の卵をとり、死んだ鶏を鶏小屋の外に出しはじめ、私とじいちゃんとで畑の端へと葬りました。死んだ鶏を袋に入れ、両手でかかえる祖父の姿を見たとき、かなり辛くなりました。

生き残った鶏のために小屋を少しずつ清掃し始めると、目の前で鶏がポロっと卵を産みました!
その卵を祖父母に見せると、良かったなぁと笑顔を見せてくれました。





鶏小屋から泥をかきだし、じいちゃんが鶏に餌を与え、今日の作業は終了となりました。





四年半前の311の地震、沿岸の津波。
今日、911の内陸部での河川の氾濫。



被災地宮城。



災いの神様に試されているのかな。


ガラスも散乱してゴミや砂利まみれになってしまった祖父母の畑。
どこまで元に戻るかわかりません。
プレハブ小屋は潰すとのこと。



それでも、やるっきゃない。
ひたむきに、ひたむきに!
祖父母との畑の奮闘、これからもこのブログを通してお伝えしていきたいと思っています。

シゲジとクミコの孫農業(仮)
応援していただけると幸いです。


長文、読んで下さった方々、ありがとうございました!!