★6年生主婦★ -97ページ目

やっぱり義姉が嫌いな訳①

父の死

2012年12月30日午後6時30分
父が亡くなりました。享年69歳でした。
12月初めに肺がん(縦隔型肺がん)が
発覚し、中旬には播種性血管内凝固症候群となり、治療不可能となり闘病生活の末に息を引き取りました。




父はいわゆる昭和の男だったので、人にも厳しいけど、自分にはもっと厳しい人でした。
病気に気付いのが、背中の痛みだったんですが、かなり我慢してたみたいでその分発見が遅れました。
今思えば、病状が他にも現れていた様です。
味覚がおかしくなったりしてました。
先生が言うには痛みを感じた時点でかなり進行しているそうです。
そして肺がんは急激に進行してしまうケースが多いということ。





私は妊娠初期だったので、当初父の病気を知らされていませんでした。
知らされたのは12月17日の夜でした。
この時既に、手遅れで助からない状況となっていました。
父は私が流産しないように、自分の病気は隠しておきたいと思った様です。
母も父の意思を尊重し、隠して来ましたが、もうこれ以上は隠してはいけないと判断しあの日連絡して来たのです。




ガンについて知識の乏しい私は、まだ治る可能性があると思っていましたが、この時既に「播種性血管内凝固症候群」となっていたので、治癒の可能性は限りなくゼロに近かったのです。
既に意識が混沌とし、ハッキリとしている時と朦朧としている時とありました。
余りの父の代わり様に泣かないようにするのが、精一杯でした。




その日から毎日、看病に出かけました。
日に日に悪くなる父を見るのは始めは辛かったのですが、父の看病を泊まり掛けでしている母の姿を見ているうちに、母を支えねばという気持ちが強くなりました。





そんなある日、母と二人で下のタリーズコーヒーに昼食を食べに行きました。
父の話題で、私は母に「お父さんはきっと、私と一番上の兄が一番心配なんだろうねぇ。」と言いました。
理由は兄も私も今、頼りない状況にあるからです。
しかし、母は「お父さんが一番心配しているのは、私のことよ。入院したある日、泣きながら言ってた。」と。
意外な答えに驚きました。と、同時に自分が自惚れていたことに気付かされました。
子供たちは子供たちの人生。
親が口出しすべきではないという父のスタイルを考えれば当然のことです。
そして、長年連れ添った母のことを自分が最後まで面倒を見てあげれなかったということは、父にとっては心残りだったのです。
それだけ父は母を愛し、感謝していたのだと思います。




父の臨終に際し、家族全員で見送ることが出来たのですが、最後全員で話しかけていました。
が、母が声をかけると苦しんでいる父が、意識のないはずの父が反応していたのです。
頷いたり、目を見開いたり。
ビックリしました。母の声はしっかり届いていたのです。
私は父に感謝の気持ちを最後に伝えました。「お父さんありがとう。」




私が看病出来たのは2週間という短い期間でしたが、出来る事はしたので悔いはありません。
看護師さんたちも、最後まで少しでも父を生かしてくれようと、出来る事を最大限してくださり感謝の言葉しかありません。
一生懸命、父の看護をしてくださるので私達家族は頑張れたのだと思います。




家に帰りたい。
と言っていた父をようやく、連れて帰れました。
最後、苦しんでいたと思うのですが、死に顔は大変安らかな顔に変わっていました。
ただそこで、寝てるんじゃないかって思うくらいに。




私は父を焼くのが嫌でした。
死体でも家にいてほしい。
そんな気持ちを持っていました。
なので、最後のお別れで棺に花を添えるときに大泣きしました。
そしてもう一度、「お父さん、ありがとう」と伝えました。
この時に我慢していた悲しみの感情を素直に出したので、心の整理が出来、納骨の時は泣きませんでした。




私の心残りは父に花嫁衣装を見せなかった事と、孫を抱かせてあげれなかったことです。
初めての妊娠で流産しなければ、少しは孫と過ごせたのになと思いました。
もしも子供がいたら、私は父の看病は満足に出来なかったのかもしれません。
そう考えると、父が孫を自分が抱くことよりも、私に後悔させないように看病させてくれたんだなと考えるようにしました。
そして、今回の妊娠はかなり初期から報告していので、そこは良かったです。
流産の心配をさせたかもしれませんが、少しずつ大きくなっている事を報告出来たし、性別も教えれました。
出てきたお腹も触ってもらえました。




父のいない実家は何だか、やっぱり淋しいですが、母を支え父が居ない寂しさを少しでも紛らわして、残りの人生を楽しんでもらいたいです。


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2013年目標

新しい年になりました。
一年の計は元旦にあり。
というので、今年も目標を立てたいと思います。


①母を支え、新しい生活に慣れてもらい元気になってもらう為に協力する。
なるべく、電話する。帰る。


②元気な赤ちゃんを産んで、育児に励む。


③経済的な安定をする。
貯金出来るようにする。





以上、2013年の目標かな。
毎年同じこと言ってるのもあるけど。(笑)

でも去年が悪過ぎたから今年からまた良い年にしたいな。
子供も産まれるしさ。
父が最後の最後に持って行ってくれたんだと思いたいもんね。
(*´ー`*)


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