再来週から大学が始まるらしい。
こういう休みが明けるときは大抵1週間前にならないと実感を得ることがないのが経験則。
今の時期に休み明けを意識している人は将来が明るいだろうな。
例えば、同窓会の時には年収マウント?というのをとりそう。
いや、同窓会は行かないから確認できないな。
二十歳の集いにすら行っていないのだから。
今日は天気が良かったし、風もそこそこ。
外に出るには絶好の機会と踏んだ。
しかし、外に出て15分後。
僕が居たのは地元のカラオケボックス。
入り口にはジャグラーとクレーンゲームが一台ずつ並んでいる。
プレイしている人を見たことはない。
どこの扉も建付けが悪く壁も黄ばんでいる。
きっとヤニが付着しているのだろう。
年数を感じさせるヤニの付いた壁の歴史は令和で途切れるのだろう。
悪くない文化だと思うんだけどな。
カラオケには僕以外に人はいなかった。
いつもの曲で喉をならしたら新しい曲に挑戦する。
こういう時に好きな曲を歌うのではなく、
誰かとカラオケをする時に場を壊さない曲を選ぶのに慣れてしまった。
ただ、誰に見せるでもない反抗心として一曲マイナーな曲を入れるのもいつもの作業。
作業を始めて小一時間がたったころ、隣の部屋から声がきこえた。
声変わりしていない声に感じるため中学生くらいだろう。
4種類の声がきこえる。4人もしくはよっぽど歌がうまいかだ。
一曲目は晩餐歌。
中学生だろう。
期待を孕んだ確信である。
これ以上隣に耳をそばだてるのは気が引けるというか犯罪めいてくる。
地元にいると自分が子供であると錯覚するが、
20歳は中学生と最低でも五つ歳が離れている。
ちなみに男子中学生である事を明記しておく。
そのあとまた2時間ほどが経った。
カラオケランキング上位の曲で歌えそうなものは大体歌い終わった。
新規開拓はこの辺にして出るタイミングをうかがう。
正確には出た後の余韻が心地いい曲の流れを作る。
しかし、これがなかなか難しい。
湿っぽい曲を並べればいいということでもない。
喉に歌った実感ともいえる痛みを与えつつ、興奮しすぎない曲の構成が必要なのである。
ただ、僕はこういう時に便利な曲を知っている。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONのソラニンだ。
アーティスト名とタイトル名でこんなに文字の並びにバランスが悪いのか。
文字に起こさないと気づけなかったな。
そんなことはどうでもいい。
この曲は湿っぽくありつつそこそこに喉に負担がある。
高音を出すとかではなく、声を張るからだ。
特にサビに入るとき。
ここが好きだ。歌詞も好きだ。
「たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする」
ものすごく好きだ。
人生には幸福を感じる瞬間が多々あると思うが、
それらは大抵、自身の選択によって得られた達成感の上に築かれている。
しかし、人生では印象に残らない幸せが結構な時間続いている。
それをこのような歌詞で表現するのはあまりにもお洒落が過ぎる。
そのあとの
「きっと悪い種が芽を出して もうさよならなんだ」
これも素晴らしいというか泣きそうになる。
幸せが崩れさる瞬間というか不幸に上書きされる瞬間が訪れることによって、
気が付くこともなかった幸せに別れを告げなければならなくなる。
お洒落すぎるぜ全く。
友達が当たり前に隣にいることはだらっと続いたゆるい幸せなのだろう。
隣の部屋の中学生たちは来年からは何をするのであろうか。
もしかしたら、高校進学で今日の面子で集まることが難しくなるのだろうか。
そんなこともなく、まだゆるい幸せが続くのだろうか。
そんな、自分にとってはもう別れを告げたゆるい幸せについて考えながらカラオケボックスにも別れを告げた。