ぽかぽか
多分、お久しぶりの更新です。なにがともあれ、年が明けました。あけましておめでとうです。私は相変わらずバイト漬けしてます。今年の春から学校行くことが店長にまんまとバレ、デザイン系の学校に行くのですが店長が「POPつくってみようか!」といわれ私だけ何かよくわからないことをしています。皆、上手いねすごいねって言ってくれるけれどうわべのお世辞の言葉だとわかっているからさらにこの世から消えたくなる。最近はそんな感じです。年賀状は相変わらず今年も0枚です!そういえば高校時代、非常に尊敬していた先生に会ってきました。お世話にはなったので現状の報告を。大学中退しましたって言ったら「でも私は安心してる。良かったと思う。あなたらしい作品を作り頑張って」的な事をいわれた。すごく嬉しい言葉だったけれどやはりうわべだけのすぐに作られた言葉にすぎないかもしれない。今年なって3日もたってしまい、まだなにもできていない。また同じ失敗を繰り返さないためにこの3ヶ月間、私は何をすればいいのか。最近思いだします。ちょうど1年前泣きながら行ってた大学の行き道の記憶すごく寒くてもう格好とかどうでもよくて変な格好してたな思い出の美化でた
こんにちは。りんごの雨です。今回は私の恋愛事情について興味本位で書きます。私は人生で一度も恋人というものができたことありません。まあ、私、問題ある人間なんでしょうね。なので片思い歴ですね。初恋は小1です。隣の席の子でした。小2、小3、小4…までは毎年片思いの人変わってました。そして毎年、なんらかの方法で告ってた…私、よく告る傾向があるようです。小1:友達に勝手に言われた小2:バレンタインに呼び出してチョコをあげた小3:教室でわやわや話してるときにどさくさにまぎれて小4:相手が引っ越すらしく、クラスから一人プレゼント 用意するようにと言われそれにこっそり手紙小6もまた別の人に片思いをし、中1まで想ってましたけどフェードアウト中2から中3にかけてまた違う人を片思い。その人は手紙で告りました。(2回も)ここまで、告ってきましたが返事は返ってこないしなにも起こりませんでした。そして私は異性だけではなく同性にも片思いをするようになりました。初めて同性に恋をしたのは小5です。転校しました。次に恋したのは中1ぐらい。次は高1から高3まで…次はバイトの先輩…同性に関しては一度も告白したことがありません。今は好きな人、誰もいません。正直言うと恋人が欲しいです。以上です
こんにちは。りんごの雨です。このブログを続けていくにおいて画像など載せる際、矛盾が起きないように、私が使ってるネット上の名前を記しておこうと思います。まずブログで使ってるりんごの雨主にイラスト系で使ってます。古浦雨(こうら さめ)鮫の雨mesaこの名前に関しては詳しくは言及しません。(とくに意味のないところで使ってます。)これらは全部同一人物です。よろしくおねがいします。
こんにちは。りんごの雨です。今回は今のバイトについて少し。今は某カメラ店でバイトしています。(家電量販店ではありません!身バレが怖いので詳しくは言えません。)前回のバイトはゲームセンターで、前回のバイトでは全部のゲームのエラーの対処法とかなんかとにかく次から次へと覚えることが多かったのです。しかし、大手チェーンとかではないので、ゆるゆるでした。機械のエラー対処もとりあえずここ押しておけ!精神でした。今のバイトはそうはいきません。ボタンひとつ間違えると命取りの責任感の多いバイトでした…。既に辞めたいと思っている…。まだ辞めませんけど…。覚えることも多すぎます。メモ帳が三冊終わりそうです。でもきっとどこも覚えるのが多いんだと思います。前回のバイトは学生枠だったからフリーター枠よりかは覚えるの少なかったです。きっとフリーター枠はとにかく大変そうでした。店長が駄目な方な人だったので…今私はフリーター枠です。勤務時間も圧倒的に増え、責任に耐える8時間。怖いですね。でも世の中の大人は私よりもきつい人がごまんといると思います。頑張ります…とりあえず今を。
こんにちは。りんごの雨です。私に夢があることを忘れないようにここにはっきり書こうと思います。1.絵本作家になること理由:子供の心を響かせたい。その子が大人になった時に雰囲気のいい世の中にしたいから。小学2年生から。人生の最終的な目標です。国を変えたいや世界を変えたいなんて思ってませんけど(そんなこと思うのは良くないとなにかで読んだ)周りの雰囲気だけでも良くしたいなというところから…。2.舞台、セットの演出に関わりたいこれ関係の就職目指したいです。あわよくば。高校3年から思い始めました。私はもともと、ドラマとかライブのセットとかいつも見ていて、演者が一番大切ですけどセットで雰囲気や記憶に刻まれるのだと思います。セットとか思いだすだけでそのときの当時を思い出せるのです。そんな夢みたいな薬、をつくりたいなとか思いました。夢の話おわります。
こんにちは。りんごの雨です。今回は大学中退してからニートだった3ヶ月間を綴っていきたいと思います。大学を中退してから、私は1か月程もともと続けていたバイトをしていました。しかし、バイト先には大学中退したなんて言えず、学校に通っている設定でバイトに行っておりました。バイト先に嘘をついていたということです。なので、出勤は大体夕方から。罪悪感とかがすごかった。このままバイト先に大学中退したこと、言えないので辞めようと思いました。そしてやめて、本格的に何もない生活に突入したのです。バイトやめてすぐに私は自動車学校に申し込みに行きました。色々な後押しがあり、免許取ろうと決心したのです。そして今年の夏は自動車学校行きながらニートを送りました。自動車学校の先生にはニートなんて言えず、飲食店でバイトをしているとまた、嘘をついてしまいました。車の運転苦手でしたが先日やっと学科も受かり運転免許を取得しました。なにもない一日が多いニートの私は何をしていたのかと言うと午前9時:起床午前11時まで:朝のワイドショーを見つめる。午後12時から午後4時まで:パソコン午後5時:夕方のワイドショーなんだか意味のない毎日を送っていました。バイトは沢山の某求人アプリをとって探していました。でも私は働きたくない精神が強く、応募に踏み出せないでいたのです。その間、親の目線が辛かったです。母からは毎日、求人のチラシかカルチャースクールのチラシを貰いました。何かをしてほしかったみたいです。父は会話をしなくなりました。何を思っているのかはわかりませんが、視線が怖い気がしました。そしてニートになると自分の夢、目標が揺らぎ始めました。まだ、学校に通っていた頃だと夢や目標はまだ持てていて、ニートになると働かず家で自由にできる快楽を覚えてしまったため夢や目標が自分に必要ではないのかと疑問。分からなくなりました。そして自動車学校に行くのが当時の自分には精一杯で、新しくバイトを始めるのが怖かったのです。そして仮免と卒検が一発で受かり一安心した私は卒検終わったその日にバイトの応募をしたのでした。
こんにちは。りんごの雨です。このブログを続けるにおいて私の過去を書いておいた方が後々楽なので、まとめて書きたいと思います。今から語る過去は「高校卒業から大学中退まで」です。きっと長いです。私はとあるデザイン科の高校に通っておりました。絵を描くのは小さいころから大好きで、絵を描くことだけは続いてきたので将来も絵に関する仕事に就きたいなと思い、そういう方向の進路を決めていました。でも、私、相当ふらふらしており、美術系以外に旅行系の進路にも興味があり志望校をコロコロ変えていました。でも最終的には美術系に定め、受験対策をしていきました…。私は美術部だったのですが、副部長だったしコンペだって結構な頻度で入賞できてたので自惚れていました。いざ、デッサンの対策始めると先生から「下手だね…」と言われ勘違いしていた私はショックを受けました。そんなモヤモヤを押さえながらも先生のアドバイスを参考にデッサンを重ねました…。志望校が定まったのが高3の12月で、けっこうギリギリで。対策始めるのもギリギリで。志望校決める前からなんとなく美術系に行きたいとは思っていたので少しはデッサンしていましたが勉強に力を入れると言い訳し、デッサンはあまりしなくなりました。本気でデッサンを始めたのが入試の3カ月前、かなり無理のある話です。そんな現実を受け入れられない私に対して、先生はこう言いました。「りんごの雨さん、《志望校》は無理じゃないかなあ…?」そんな言葉を言わないといけない状況にしてしまったのは私ですけど、馬鹿な私はそのことばでなにもかもやる気の糸がプツンと切れました。どうせ受からないからと言って勉強はその日からしなくなりました。デッサンは一応続けていました。第二希望の志望校もデッサンを要したので。第一志望の大学は国公立でセンターの点数をまず取らないといけないのですが、自分は勉強を辞めてしまったので点数は取れず、受けることさえできませんでした。第二希望目指そう、となったのですが、私は第二希望の大学には行きたくありませんでした。でもとりあえずそこに向かって対策していきました。そして第三希望の大学があったのですがそこは文系の大学でデザインも少し取り組んでいるという大学で。そこも行きたくありませんが受けることになりました。無気力のまま第二希望の学校、第三希望を受け。第二希望は落ちてしまいました。受かったのは第三希望でした。一番行く予定のない学校でした。第三希望は女子大でした。お嬢様学校とか言われてましたね。そんな学校に入学しました。案の定キラキラなお洒落な女子ばっかり。皆、新しい学校で沢山勉強や遊ぶというキラキラ。そんなキラキラが眩しくてそんなキラキラに対して嫉妬して行きました。「私は本当はこんな学校入りたくなかった、皆遊ぶことしか考えてないクセに学びたいですみたいな雰囲気だして…」とか散々心の中で嫌みばかりでした。そんな私には友達は一人もできませんでした。心を開きたくないと思ってましたからね…。でもひとりだけ一緒に行動してくれる人がいました。その子は学ぶことだけ、とりあえず成績をとることを主にしているような子でした。そんな真面目な子だったので日常会話や冗談話とかは全くなく、話すことは授業のことでした。私はそんな真面目にまっとうに大学生活送っている子に対しても嫌気がさしました。「私は来たくもないない学校に来ているのになぜこんな真面目に興味もない授業を受けないといけないのか」表にはそんな感情を出していませんでしたが、心の中はめちゃくちゃでした。「絶対にこの大学なんか辞めてやる」一心でした。私は本当はなんでも話せたり沢山遊んでくれる友達が欲しかったしそんな友達と授業を受けるなんてことを妄想していました。それをこなせてるキラキラな人達に嫉妬から憎悪の感情まで生まれてしまいました。一緒に行動してくれる子にもそんな感情を抱いていました。最悪でした。そんな意識で大学生活を送っていると成績も最悪で、もうこの生活も限界と感じてきました。親に「大学やめたい」と意思表示しました。最初は反対されました。「大学中退したら絶対困る」そんな言葉に何も返せませんでした。それから1年近く「嫌だ」「やめたい」「なんで私はこんな場所にいるのか」狂ったように行動していました。そして大学1年生が終わる頃。再び親に「大学やめたいと」意思表示しました。なんとしてでも4月までにやめたかった。なぜなら4月から心入れ変えてリセットして別の学校に通いたかったからです。そんな自分勝手な思いも許されなかったようです。父が「大学やめるなんて絶対に将来困る」とストップがかかったのです。そのストップは解除されることはなく、4月がすぎました。いや、本当はストップなんて無視でもなんでもしてやめたいなら自分意思で辞めれたと思います。でもだれも同意してくれない状況でただ一人の決断で大学やめるのが怖かったのです。昔の友人にも相談したことないので、本当に一人で悩んでいました。4月を迎えてしまい、こんなはずじゃなかったと父に対し怒りがわいてきてしまいました。そして結局、自己判断で退学届を貰いに行ったのです。5月の終わり。大学中退が完了しました。ここまでの自分の行動、半分は馬鹿だなあと後悔しています。何に後悔しているのかというと、なぜもっと早く進路を決めなかったのか?です。進路に悩んでいる高校生に対しては進路は絶対早く決めたほうがいいと言いたいぐらいです。自分のここまでの意識や行動は狂ったようにおかしかったです。周りが見えていませんでした。何もない10か月ぐらいの空白な時間の生活になってから考え直す機会が増えました。何もないけれど自分と向き合う時間が増え、自分が何がしたいのか、未だに考えている最中です。大学中退したことに対しては後悔していません。人生にバツが一個付いたけど、後悔はしていません。あのまま大学に無気力に通ってもタダの時間とお金の無駄だったと思います。なにより自分がもっと壊れていたと思います。ただの言い訳ですけどね。
こんにちは。りんごの雨、と申します。現在は20歳のバイトだけしている何もない人間です。今までは高校卒業して大学進学しましたが中退。その理由はまた詳しく書きます。それからは3カ月ニートしてました。そのニート生活も詳しく書きます。今は某販売店でフリーター枠でバイトしています。バイトごと気ですが、辛い。性格は根暗です。かなりそしてネガティブです。趣味はアイドルを追いかけること(そんなに追いかけれてませんけど)絵を描くことです。夢は絵本作家になることです。あとセットの美術さんになりたいです。最終的には絵本作家になりたいです。夢は言うだけならタダなので。あとは自分次第ですが。こらから詳しく書くといった部分は休みの日にでも一気にあげます。